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伊賀、伊勢路
いが、いせじ
作品ID45514
著者近松 秋江
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 西日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-09-20 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私には、また旅を空想し、室内旅行をする季節となつた。東京の秋景色は荒寥としてゐて眼に纏りがない。さればとて帝劇、歌舞伎さては文展などにさまで心を惹かるゝにもあらず、旅なるかな、旅なるかな。芭蕉も
憂きわれを淋しがらせよ閑古鳥
 といひ、また
旅人と我名呼ばれん初しぐれ
 ともいつたが、旅にさすらうて、折にふれつゝ人の世の寂しさ、哀れさ、またはゆくりなく湧き來る感興を味はふほど私にとつての慰藉はない。東京は、私には、あまりに刺戟が強く、あまりに賑かすぎて、心はいつも皮相ばかりを撫でてゐるやうである。東京にゐると、文筆のわざさへひたすら枯淡なる事務のやうになつて、旅にゐるときのやうに自然の情趣が湧かない。私の魂魄は今、晩秋初冬の夜々東京の棲家をさまよひ出でて、遠く雲井の空をさして飛んでゐる。
 私は府縣別の地圖を座右に備へて置く。そして毎晩就寢のとき枕頭にそれを展いて見るのである。哀れ深き旅の空想は私の夢を常に安からしめる。富士の頂きに初雪を見る頃になつて、さすがに夏は懷かしい東北の山河は、私には思ひ浮べるだにおぞましい。南海、西海の邊土は、未だ多くわが脚を踏み入れたことはないが、須磨、明石さへ遠隔の地のやうに思つた昔の京都の殿上人の抱いてゐたやうな感情は私にも遺傳されてゐると思はれて石炭の煙突煙る九州の地は私にはあまりに遠國すぎる。私の最も愛好する地勢と風土は伊勢大和近江の境にある。そのあたりの地圖を閲しつゝ私は自由に旅の空想を夢むのである。此度の旅は少くとも二箇月くらゐはさすらふ豫定でそのつもりで旅支度をとゝのへ些の未練もない東京の空には暫時の訣別を心の中に告げつゝ夜九時の急行車で中央ステーションを出發する。この時停車場の大廊下に鳴りひゞく旅人の下駄の足音も私の耳には天樂の如くいみじき音律となつて聞えるのである。それより心地よいクッションにまづ腰を落着けつゝ今宵一夜を共に此處に明かすべき同車の旅の人々の知らぬ容貌風采、さては一歩想像を深めて、それ等の職業、運命などについて考へてみるのもまた一興である。此の際に於ける私の注意の働きと、想像の奔放なることは、到底歌舞伎座や帝國劇場などにあつて死劇を觀てゐる比ではない。
 やがて夜行列車は、寢つ起きつする間に翌朝の午前六時を少し過ぐる頃無事に名古屋に着く。私は昨夕東京を立つとき伊賀の上野までの乘車券を買つてゐたので、そこで關西線の湊町ゆきの二番が發車するのを待つ間二時間ばかりに輕い朝食を取つたり、電車を利用してちよつと名古屋の街の一角を窺いて見るであらう。實は多年の宿望なる、関ヶ原、古の不破の關所のあつたあたりのわびたる野山、村里の秋景色をも歩いて見たいのだが、それは今は割愛して豫定のとほりに、やがて湊町ゆきに乘つて午前八時二十三分發で伊勢路に向つて旅をつづける。
 桑名、四日市は昨夕の殘睡のうちにいつしか通りす…

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