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瘠我慢の説
やせがまんのせつ
作品ID45521
副題01 序
01 じょ
著者石河 幹明
文字遣い新字新仮名
底本 「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」 講談社学術文庫、講談社
1985(昭和60)年3月10日
初出「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社、1901(明治34)年5月2日
入力者kazuishi
校正者田中哲郎
公開 / 更新2006-12-14 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 瘠我慢の説は、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを勝安芳、榎本武揚の二氏に寄せてその意見を徴められしものなり。先生の本旨は、右二氏の進退に関し多年来心に釈然たらざるものを記して輿論に質すため、時節を見計らい世に公にするの考なりしも、爾来今日に至るまで深く筐底に秘して人に示さざりしに、世間には往々これを伝うるものありと見え、現に客冬刊行の或る雑誌にも掲載したるよし(栗本鋤雲翁は自から旧幕の遺臣を以て居り、終始その節を変ぜざりし人にして、福沢先生と相識れり。つねに勝氏の行為に不平を懐き、先生と会談の語次、ほとんどその事に及ばざることなかりしという。この篇の稿成るや、先生一本を写し、これを懐にして翁を本所の宅に訪いしに、翁は老病の余、視力も衰え物を視るにすこぶる困難の様子なりしかば、先生はかくかくの趣意にて一篇の文を草したるが、当分は世に公にせざる考にて人に示さず、これを示すはただ貴君と木村芥舟翁とのみとて、その大意を語られしに、翁は非常に喜び、善くも書かれたり、ゆるゆる熟読したきにつき暫時拝借を請うとありければ、その稿本を翁の許に留めて帰られしという。木村氏といい栗本氏といい、固よりこれを他人に示すがごとき人に非ず。而して先生は二人の外何人にも示さざれば決して他に漏るるはずなきに、往々これを伝写して本論は栗本氏等の間に伝えられたるものなりなどの説あるを見れば、或は翁の死後に至りその家より出でたるものにてもあらんか)。
 依て思うに、この論文はあえて世人に示すを憚かるべきものにあらず、殊にすでに世間に伝わりて転々伝写の間には多少字句の誤なきを期せざれば寧ろその本文を公にするに若かざるべしとて、これを先生に乞うて時事新報の紙上に掲載することとなし、なお先生がこの文を勝、榎本二氏に与えたる後、明治二十五年の二月、更らに二氏の答書を促したる手簡ならびに二氏のこれに答えたる返書を後に附記して、読者の参考に供す。
  明治三十四年一月一日
石河幹明 記



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