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海城発電
かいじょうはつでん
作品ID4557
著者泉 鏡花
文字遣い新字旧仮名
底本 「外科室・海城発電」 岩波文庫、岩波書店
1991(平成3)年9月17日
初出「太陽」第二巻第一号、1896(明治29)年1月
入力者門田裕志
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2003-09-09 / 2014-09-18
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

「自分も実は白状をしやうと思つたです。」
 と汚れ垢着きたる制服を絡へる一名の赤十字社の看護員は静に左右を顧みたり。
 渠は清国の富豪柳氏の家なる、奥まりたる一室に夥多の人数に取囲まれつつ、椅子に懸りて卓に向へり。
 渠を囲みたるは皆軍夫なり。
 その十数名の軍夫の中に一人逞ましき漢あり、屹と彼の看護員に向ひをれり。これ百人長なり。海野といふ。海野は年配三十八、九、骨太なる手足あくまで肥へて、身の丈もまた群を抜けり。
 今看護員のいひ出だせる、その言を聴くと斉しく、
「何! 白状をしやうと思つたか。いや、実際味方の内情を、あの、敵に打明けやうとしたんか。君。」
 いふ言ややあらかりき。
 看護員は何気なく、
「左様です。撲つな、蹴るな、貴下酷いことをするぢやあありませんか。三日も飯を喰はさないで眼も眩むでゐるものを、赤條々にして木の枝へ釣し上げてな、銃の台尻で以て撲るです。ま、どうでしやう。余り拷問が厳しいので、自分もつひ苦しくつて堪りませんから、すつかり白状をして、早くその苦痛を助りたいと思ひました。けれども、軍隊のことについては、何にも知つちやあゐないので、赤十字の方ならば悉しいから、病院のことなんぞ、悉しくいつて聞かして遣つたです。が、其様なことは役に立たない。軍隊の様子を白状しろつて、益々酷く苛むです。実は苦しくつて堪らなかつたですけれども、知らないのが真実だからいへません。で、とうとう聞かさないでしまひましたが、いや、実に弱つたです。困りましたな、どうも支那人の野蛮なのにやあ。何しろ、まるでもつて赤十字なるものの組織を解さないで、自分らを何がなし、戦闘員と同一に心得てるです。仕方がありませんな。」
 とあだかも親友に対して身の上談話をなすが如く、渠は平気に物語れり。
 しかるに海野はこれを聞きて、不心服なる色ありき。
「ぢやあ何だな、知つてれば味方の内情を、残らず饒舌ツちまう処だつたな。」
 看護員は軽く答へたり。
「いかにも。拷問が酷かつたです。」
 百人長は憤然として、
「何だ、それでも生命があるでないか、譬ひ肉が爛れやうが、さ、皮が裂けやうがだ、呼吸があつたくらゐの拷問なら大抵知れたもんでないか。それに、苟も神州男児で、殊に戦地にある御互だ。どんなことがあらうとも、いふまじきことを、何、撲られた位で痛いといふて、味方の内情を白状しやうとする腰抜が何処にあるか。勿論、白状はしなかつたさ。白状はしなかつたに違ないが、自分で、知つてればいはうといふのが、既に我が同胞の心でない、敵に内通も同一だ。」
 といひつつ海野は一歩を進めて、更に看護員を一睨せり。
 看護員は落着済まして、
「いや、自分は何も敵に捕へられた時、軍隊の事情をいつては不可ぬ、拷問を堅忍して、秘密を守れといふ、訓令を請けた事もなく、それを誓つた覚もないです。また全…

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