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照葉狂言
てりはきょうげん
作品ID4561
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成3」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年1月24日
入力者門田裕志
校正者酔いどれ狸
公開 / 更新2013-07-25 / 2014-09-16
長さの目安約 103 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

鞠唄




 二坪に足らぬ市中の日蔭の庭に、よくもこう生い立ちしな、一本の青楓、塀の内に年経たり。さるも老木の春寒しとや、枝も幹もただ日南に向いて、戸の外にばかり茂りたれば、広からざる小路の中を横ぎりて、枝さきは伸びて、やがて対向なる、二階家の窓に達かんとす。その窓に時々姿を見せて、われに笑顔向けたまうは、うつくしき姉上なり。
 朝な夕な、琴弾きたまうが、われ物心覚えてより一日も断ゆることなかりしに、わが母みまかりたまいし日よりふと止みぬ。遊びに行きし時、その理由問いたるに、何ゆえというにはあらず、飽きたればなりとのたまう。されど彼家なる下婢の、密にその実を語りし時は、稚心にもわれ嬉しく思い染みぬ。
「それはね、坊ちゃん、あの何ですッて。あなたのね、母様がおなくなり遊ばしたのを、御近所に居ながら鳴物もいかがな訳だって、お嬢様が御遠慮を遊ばすんでございますよ。」
 その隣家に三十ばかりの女房一人住みたり。両隣は皆二階家なるに、其家ばかり平家にて、屋根低く、軒もまた小かなりければ、大なる凹の字ぞ中空に描かれたる。この住居は狭かりけれど、奥と店との間に一の池ありて、金魚、緋鯉など夥多養いぬ。誰が飼いはじめしともなく古くより持ち伝えたるなり。近隣の人は皆年久しく住みたれど、そこのみはしばしば家主かわりぬ。さればわれその女房とはまだ新らしき馴染なれど、池なる小魚とは久しき交情なりき。
「小母さん小母さん」
 この時髪や洗いけん。障子の透間より差覗けば、膚白く肩に手拭を懸けたるが、奥の柱に凭りかかれり。
「金魚は、あの内に居るかい。」
「居ますとも、なぜ今朝ッからいらっしゃらないッて、待ってるわ、貢さん。」
「そう。」
「あら、そう、じゃアありません、お入りなさいよ、ちょいと。」
「だって開かないもの、この戸は重いねえ。」
 手を空ざまに、我が丈より高き戸の引手を押せば、がたがたと音したるが、急にずらりと開く。婦人は上框に立ちたるまま、腕を延べたる半身、斜に狭き沓脱の上に蔽われかかれる。その袖の下を掻潜りて、衝と摺抜けつつ、池ある方に走り行くをはたはたと追いかけて、後より抱き留め、
「なぜそうですよ。金魚ばかりせッついて、この児は。私ともお遊びッてば、厭かい。」
 と微笑みたり。
「うむ。」
「うむ、じゃアありません。そんなことをお言いだと私ゃ金魚を怨みますよ。そして貢さんのお見えなさらない時に、焼火箸を押着けて、ひどい目に逢わせてやるよ。」
「厭だ。」
「それじゃ、まあお坐んなさい。そしてまた手鞠歌を唄ってお聞かせな。あの後が覚えたいからさ。何というんだっけね。……二両で帯を買うて、三両で絎けて、二両で帯を買うて、それから、三両で絎けて、そうしてどうするの、三両で絎けて……」
「今年はじめて花見に出たら、寺の和尚に抱き留められて。」
 とわれは節つけて唄い出しぬ。…

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