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泉ある家
いずみあるいえ
作品ID45652
著者宮沢 賢治
文字遣い新字新仮名
底本 「ポラーノの広場」 角川文庫、角川書店
1996(平成8)年6月25日
入力者ゆうき
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-09-03 / 2023-07-07
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 これが今日のおしまいだろう、と云いながら斉田は青じろい薄明の流れはじめた県道に立って崖に露出した石英斑岩から一かけの標本をとって新聞紙に包んだ。
 富沢は地図のその点に橙を塗って番号を書きながら読んだ。斉田はそれを包みの上に書きつけて背嚢に入れた。
 二人は早く重い岩石の袋をおろしたさにあとはだまって県道を北へ下った。
 道の左には地図にある通りの細い沖積地が青金の鉱山を通って来る川に沿って青くけむった稲を載せて北へ続いていた。山の上では薄明穹の頂が水色に光った。俄かに斉田が立ちどまった。道の左側が細い谷になっていてその下で誰かが屈んで何かしていた。見るとそこはきれいな泉になっていて粘板岩の裂け目から水があくまで溢れていた。
(一寸おたずねいたしますが、この辺に宿屋があるそうですがどっちでしょうか。)
 浴衣を着た髪の白い老人であった。その着こなしも風采も恩給でもとっている古い役人という風だった。蕗を泉に浸していたのだ。
(宿屋ここらにありません。)
(青金の鉱山できいて来たのですが、何でも鉱山の人たちなども泊めるそうで。)
 老人はだまってしげしげと二人の疲れたなりを見た。二人とも巨きな背嚢をしょって地図を首からかけて鉄槌を持っている。そしてまだまるでの子供だ。
(どっちからお出でになりました。)
(郡から土性調査をたのまれて盛岡から来たのですが。)
(田畑の地味のお調べですか。)
(まあそんなことで。)
 老人は眉を寄せてしばらく群青いろに染まった夕ぞらを見た。それからじつに不思議な表情をして笑った。
(青金で誰か申し上げたのはうちのことですが、何分汚ないし、いろいろ失礼ばかりあるので。)(いいえ、何もいらないので。)
(それではそのみちをおいでください。)
 老人はわずかに腰をまげて道と並行にそのまま谷をさがった。五、六歩行くとそこにすぐ小さな柾屋があった。みちから一間ばかり低くなって蘆をこっちがわに塀のように編んで立てていたのでいままで気がつかなかったのだ。老人は蘆の中につくられた四角なくぐりを通って家の横に出た。二人はみちから家の前におりた。
(とき、とき、お湯持って来。)老人は叫んだ。家のなかはしんとして誰も返事をしなかった。けれども富沢はその夕暗と沈黙の奥で誰かがじっと息をこらして聴き耳をたてているのを感じた。
(いまお湯をもって来ますから。)老人はじぶんでとりに行く風だった。(いいえ。さっきの泉で洗いますから、下駄をお借りして。)老人は新らしい山桐の下駄とも一つ縄緒の栗の木下駄を気の毒そうに一つもって来た。
(どうもこんな下駄で。)(いいえもう結構で。)
 二人はわらじを解いてそれからほこりでいっぱいになった巻脚絆をたたいて巻き俄かに痛む膝をまげるようにして下駄をもって泉に行った。泉はまるで一つの灌漑の水路のように勢よく岩の間から噴き出てい…

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