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名前の話
なまえのはなし
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻26 名前」 作品社
1993(平成5)年4月25日
入力者あい
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-02-12 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 名は性を現はすといふのは、どういふ所に根拠してゐるのか知らないが、剛蔵必しも剛直人でなく、貞子必しも貞女でないことは、多数の実例によつて明々白々のことである。しかし徳川家康といふ名が、いかにも老獪堅実の政治家を聯想させ、明智光秀といふ名が、いかにも神経質で知性的インテリ武人を聯想させるのは事実である。これは我々仲間の文人でも同じことで、尾崎紅葉、泉鏡花、島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎、佐藤春夫、北原白秋、室生犀星等、いづれもその名前の字画を見るだけで、夫々の作家の特異な風貌から作品まで、歴々として表象に浮び上つて来るのである。だがこれは感情移入の心理作用によるもので、別に不思議なことでも何でもない。ユーゴーの或る小説で、死刑の宣告を受けた男が、ギロチンといふ仏蘭西語のスペルの一字一字が、断頭台の組立木片のやうに見えることを書いているが、欧洲大戦の時、独逸飛行船の空襲を受けたロンドン市民は、ツエツペリンといふ綴字そのものから、直覚的に悪魔を表象したといふことである。北原白秋といふ字面の印象から、あの明朗で官能的な詩人を表象するのも、やはりこれと同じく、作品や作家から受けた実の印象が、逆にその姓名の字画と結びつき、感情移入をしたものに外ならない。
 僕の名前の由来について、時々人から質問を受けることがある。中には「朔太郎」といふのが本名か雅号かなどと問ふ人もあるが、紛れもなく、親のつけてくれた本名である。僕は十一月一日に生れた。長男で朔日生れの太郎であるから、簡単に朔太郎と命名されたので、まことに単純明白、二二ヶ四的に合理的で平凡の名前である。若い時の僕は、その平凡さが厭やだつたので一時雅号をつけようとさへ思つた。(その頃は、文人の間に雅号をつけることが流行した。北原白秋、室生犀星、山村暮鳥等、皆雅号である。)だが考へて見たら、一人前の文士にも成らないものが、麗々しく雅号をつけるなんかテレ臭いので到頭本名で通してしまつた。(もつともこの考への誤りは後で解つた。一人前の文士になり、世間に名を知られてしまつてから、後で雅号をつけたところで通用しない。)
 しかし世の中は不思議なもので、こんな平凡な僕の名前が、却つて今の一般人には、風変りに珍らしく思はれるらしい。何処へ行つても、お名前はと聞かれて、サクタラウと答へると、屹度作文の作ですねと言はれる。いやちがふと言ふと、どんなサクですかと反問される。そこで朔日の朔だと教へるが、これがどうも一向に人々に通用しない。「ツイタチのサク。さてね、どんな字ですか。」とまた反問される。そこで仕方がないから、ありたけの成句を並べてみる。元旦朔日の朔。朔風の朔。朔北の朔。正朔の朔。いくら言つてもまだ解らない。いよいよ困つて考へた末、近頃の時局ニュースで、よく新聞等に出る字を思ひ出す。そこで遡江部隊の遡という字からシンニユウを除いた…

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