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緑蔭叢書創刊期
りょくいんそうしょそうかんき
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明治文學全集99 明治文學囘顧録集(二)」 筑摩書房
1980(昭和55)年8月20日
初出「文章往來」1926(大正15)年4月
入力者広橋はやみ
校正者川山隆
公開 / 更新2007-10-04 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 藤村君のこれまでの文壇的生涯を時代わけにして、みんなが分擔して書きたいことを書きとめておくのもよい企である。わたくしには「若菜集」の出るやうになつた頃のことを書かぬかどうかといふ相談があつた。しかし藤村君とのつきあひは「夏草」出版直後からであるから、若菜集時代、即ち文學界末期頃とは全く無關係であつた。さういふわけから、それでは大久保時代をとの注文が出た。
 さてその大久保時代を引うけて書くだんになると、その時期が短かかつただけに、格別これはといふ材料がない。その大久保時代にしても、ざつと今より二昔前のことである。ことに健忘なわたくしのことゆゑ記憶がかすんでゐる。止むをえず古い手筐をひきあけて調べてみたが、その時分のものでは葉書が二三枚出たまでゝあつた。五六年もつづいた小諸期のものならば長文の書簡がいくらでもある、その中には淺間の裾野で摘み取つて押し花にしたすずらんなどが、まださはやかに疊みこまれて殘つてゐたりするけれども、大久保時代のものとては、今云つたとほり短信より外に何もない。
 その短信のうち、一番最初のものは「出京仕り候、五月二日」とあるだけである。ところがきは西大久保四〇五とあり、「新宿より數丁、鬼王神社の側」と注意がしてある。その鬼王の文字に「キワウ」と假名づけがしてあるなど、いかにも藤村君らしいこくめいさである。郵便局の消印と對照すれば、それが明治三十八年であることもよくわかる。その鬼王神社の通筋はその頃漸く開けかけで、藤村君の寓居はたしか植木職の持家になつてをり、新築中から豫約がしてあつたといふやうにおぼえてゐる。豫約と同時に部屋の構造に注文がつけてあつた。それがまた藤村君の性格を遺憾なく發揮してゐた。家は極く普通の四室ぐらゐのさゝやかさであつたが、書齋となるべき一室が主人公の意匠の加はつたもので、まづ類のないものであつた。素より月並な文化的裝飾のあらうはずもなく、ただオリーブ色に染めさせた木綿の壁かけやうのものが自慢であつたものゝ、大體部屋を地床におとしてあつたのがめづらしいのである。それで他室からは一尺以上も下つてゐたので、そこに座つてゐると穴倉めいて書齋といふよりも仕事場といふかたちであつた。
 藤村君の書齋が仕事場であるといふことは、新花町時代の二階住居の模樣をわたくしが始めて見たをりの印象からしてさうであつた。その室内には巖疊な稽古机と煙草盆、その煙草盆すらわざと分厚な材料でこしらへさした品物であるが、すべては主人公の魂とおなじく沈默して整然としてゐた。
 この時代の藤村君には全く死身の覺悟があつた。小諸を切りあげて出て來られるにはそれだけの用意がなくてはならない。その用意としては最初の長篇小説「破戒」がすでに脱稿されてゐた上に、その出版の方法もほぼ熟してゐたことである。それが緑蔭叢書第一編として自力で刊行される運びになるまでの苦…

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