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ぶんしょうそのた
作品ID45746
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」 講談社
1982(昭和57)年8月12日
初出「鷭 第一輯」鷭社、1934(昭和9)年4月11日
入力者高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正者富田晶子
公開 / 更新2016-12-17 / 2016-09-09
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は元来、浅学と同時に物臭の性で、骨を折ってまで物事を理解しようなぞという男らしい精神は余り恵まれていない。そのせいで、観賞に時代の割引を余儀なくされ、その理解に一々なにがしの造詣を必要とする古典芸術なるものは、見ない先から逃げたがる風であった(ある)。順って、その方面の知識はない。
 たまたま退屈の然らしめた悪戯で、文楽の人形芝居を見た。「合邦」の「合邦内の段」というものであったらしい。いったい、合邦という物語は面白いものではない。玉手御前(という名前であったかしらん――)が義理の息子と不義をして館を出奔する、或夜悄然と父合邦の侘び住居へ辿りついてくるところから芝居は初まったが、娘の不行跡に懊悩混乱した父合邦が、返事一つでは殺害もしかねない詰問の下で、毅然として恋を棄てようとしない思いせまった娘の様子は、人形の演戯も神品であって甚しく私を感動せしめたものである。ところが芝居の終りになると、あにはからんや娘の恋愛は敵を欺く手段であって(――以下略、物臭失礼。)云々ということになる。私も性来相当ロマンチックな不運な生れと自認していたが、摂州合邦ヶ辻の桁外れな、この途方図もない物語には唖然とした。とても酔いきれない。芝居の初めの一途の恋に思いせまった娘の様子が稀世の神品であればあるだけ、終りに受けた莫迦らしさは深まるばかりであった。が、私は悪口を言うために文楽を持ち出したわけではなかった。あべこべである。
 まず、幕が揚がると、合邦の侘び住居では老いた合邦夫妻が不行跡を働いて館を駈落ちした娘の身の上を案じ合っている。もう死んだかもしれないという。生きていて、うっかりすると、この侘び住居へ落延びてきやしないかという。二人はぎょっとして身を竦ませる。武士の意地、落ちてきたからには一刀両断にしなければならぬと合邦がいう。いいえいいえ死んでしまったことでしょうよ、ふびんな娘よと、母は仏間へ座って娘の冥福を祈りはじめる。時刻は深夜である。すると、娘がただ一人侘び住居を訪れてくる、コトコトと戸を叩くのである。
 あれは娘が来たのでは――と、仏間の母がふと誦経をやめて立ち上ろうとする。やい、まてまてと合邦がとめる。あれは闇を吹く風の訪れだと言うのである。老母はそこで座にもどって誦経をつづける。再び戸がコトコトとなる。やっぱり娘ではと又立ち上る。なんの死んだ娘の来ることがあろうかと、合邦は慌てふためいて押しとどめる。実は内心てっきり娘と分ったのだが、娘とあれば殺さねばならず、思いみだれて、とにかく家へは上げぬ分別と考えたらしい。あれは深夜の風の訪れにまぎれもないと言いくるめて、老婆をむりやり仏前へ座らせてしまう。又、戸が幽かにコトコトと鳴る。再三再四、同じことが繰り返される。とうとう老婆はたまりかねて、いいえ娘です娘ですと狂乱の態で、いとしい娘よと戸口の方へ走りよる、合邦もと…

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