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意識と時間との関係
いしきとじかんとのかんけい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「涅槃 第一巻第二号」原典研究会、1927(昭和2)年3月1日
入力者tatsuki
校正者田中敬三
公開 / 更新2009-06-03 / 2016-04-04
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     序論

一、人は意識す。
二、意識ある時に於てのみ意識がある。意識なき時には意識はない。
三、意識は必ず意識された内容(意識内容)を持つ。意識なき時は意識内容を持たぬ。
四、意識の対象がなければ意識は意識内容を生ずることが出来ない。
 系 意識の対象がなければ意識はない。
五、「意識する力」がなければ意識の対象を意識することが出来ない。
六、意識作用の全体は「意識する力」と「意識対象」と「意識された内容」とである。
七、意識の対象は意識さるゝことを得る。
八、意識内容は意識さるゝことを得る。
〔説明〕意識内容とは、かつて意識された事柄である。意識された事柄はさらに、意識の対象として意識することを得る。
 系 意識内容も意識対象である。
九、意識対象は意識より独立に存す。(従て序論八ノ系により意識内容も意識より独立に存す)
十、意識は意識の対象となることを得ず。
〔説明〕もし意識が意識対象となることを得るならば、(九)により意識は意識より独立に存す。もし意識が意識より独立に存せば、(二)の「意識なきときには意識なし」は成立せず、明に意識なき時に於ても意識あるべし、これ不合理である。
 系 意識は意識さるゝことを得ず。
十一、意識さるゝことを得ざる意識とは「意識の力」である。
〔説明〕意識は意識さるゝことを得ず(十ノ系)。結局意識とは「意識するのみ」にして「意識さるゝを得ざるもの」である。然るに人は意識す(一)。而して意識の全体は「意識する力」と「意識の対象」と「意識内容」とより成る(六)。而して「意識の対象」と「意識内容」は意識より独立に存し(九)、意識さるゝものである(七、八)。故に「意識するのみ」の力とは「意識する力」である。


     本論


   一、「意識する力」と現在

 力に過去はない。何者、力の働くところは現在のみである。逆に力が働く故を以て「現在」と云ふことが出来る。即ち過去にも意識はあつた。「意識する力」と「意識対象」と「意識内容」は確にあつた。然し、それは実に「あつた」のみである。何者、力あるところは現在のみである。故に嘗て「あつた」力は過去となるやいなや無い。残るものは嘗てあつた力によつて意識された意識内容のみである。斯くして「意識の力」は永遠に「意義しつゝある力」である。

   二、意識は時間を規定する

 意識の力には本来、過去も未来もない。さらに過去、未来と並べて現在と云ふべき現在もない。(本論五節参照)。本論一節の如く「意識しつゝある力」即ち「現在働きつゝある力」を中心としなければ「時間」は成立しない。従て始めに「時間」を仮定し次に「意識のはたらき」を規定することは誤である。元来、力(ハタラキ)は必然的に動きつゝあるもので、静止は力ではない。然し客観的に対象とせられた力は、それは「力」ではない。単にある力を加へ…

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