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〔翻訳〕ステファヌ・マラルメ
〔ほんやく〕ステファヌ・マラルメ
著者
翻訳者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「青い馬 創刊号」岩波書店、1931(昭和6)年5月1日
入力者tatsuki
校正者
公開 / 更新2010-11-28 / 2016-04-04
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私がマラルメを足繁く訪れるやうになつた頃、文学は私にとつて殆んど無意味にしか思はれなくなつた頃だつた。読み、書くことは私に重かつた、そしてその倦怠が今に残つてゐることを私は白状しなければならない。しかし文学に対する私の良心、それから、私の存在を明瞭に描き出すことの苦心、それは私から去らなかつた。私は文学に対する苦心のために、文学からはなれた。
 マラルメは、知識深い一芸術家として、又最も高尚な文学的野心を持つ人として私の目に映つてゐた。私はなるべく彼の心に触れるやうにし、たとへ年齢や、才能の上に大きな距りがあるにせよ、やがて何時か、私の煩悶や意見を述べる日の来ることを望んでゐた。彼は決して私を憶病にさせたわけではなかつた。なぜなら、彼は誰よりも優しく、思ひやりが深かつたからであつた。しかし私は当時、こう考へてゐたのだつた。即ち、芸術の製作に精進することと、厳格な思想上の追求にふけることとは対蹠関係におかれてゐると。私の疑問はこの上もなくデリケートなものである。私はそれをマラルメから掴み出すことができるであらうか? 私はマラルメを愛し、彼を全ての人の上に置いてゐた。しかし私は、彼が生涯熱愛し、それに全てを捧げて来たものを、必ずしも私は熱愛することをしなかつた。そしてそのために私は彼に私の苦悶を打ちあける勇気を持たなかつたのだ。
 しかし私は、彼を尊敬するにつけ、これを打ち開けずにはゐられなくなつた。そして又彼の探求、彼の微細な正確な分析が、私の文学観を変ぜしめ、ひいては文学を棄てるまでに導かれたことを彼に告げずにはゐられなくなつた。マラルメの努力は、その時代の芸術家達の主張ならびに苦悩と、全く反対的なものであつた。そして形に就ての全般的な考察によつて、当時の全文壇に一つの号令を叫んでゐた。彼が何等科学的な知識なく、単に芸術上の深い洞察によつて、かくの如く抽象的な、そして科学上の最も発達した試みにこれ程近似した説に到達したことは実に驚くべきことである。彼は彼の考へを、比喩によつてのみしか物語らなかつた。彼は明瞭な表出をひどくきらつた。これを私風の方法で言ひ表すと、次の如きものである。即ち、一般の文学は代数の如きものである。一つの結果を探求しやうとする。これに反しマラルメの文学は幾何学のごときものである。初めに意志を仮定し、これを明らかにして行こうとする。彼は言葉のフォルムによつて、与へられた原理を明らかにしやうとするのだ。
「しかし少くとも、一つの原理が誰かによつて知悉せられた上は、それに就て時を費す必要はない」と私は私に言ひきかせた……
 期待した日は、つひに来なかつた。

          ★

 一八九八年七月十四日は、私が最後にマラルメと会つた日であつた。朝食が済んでから、私は彼の書斎を訪れた。縦に四歩、横に二歩の小さな部屋、セイヌ川と森に向つて展い…

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