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黒谷村
くろたにむら
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「青い馬 第三号」岩波書店、1931(昭和6)年7月3日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-05-04 / 2016-04-04
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 矢車凡太が黒谷村を訪れたのは、蜂谷龍然に特殊な友情や、また特別な興味を懐いてゐたためでは無論ない。まして、黒谷村自体に就ては、その出発に先立つて、已に絶望に近いものを感じてゐたのだが、それでも東京に留まるよりはましであると計算して、厭々ながら長い夜汽車に揺られて来たのだ。
 夏が来て、あのうらうらと浮く綿のやうな雲を見ると、山岳へ浸らずにはゐられない放浪癖を、凡太は所有してゐた。あの白い雲がうらうらと浮いて、泌むやうな山の季節を感じながら、余儀ない理由で都会に足を留めねばならぬとき、彼は一種神経的な激しい涸渇を感じて、五感の各部に妙な渇きを覚えながら、不図不眠症に犯されてしまふ。特別な理由があるわけではないが、彼の半生を二つの風景が支配してゐた。一つは言ふまでもなく山岳であり、そして他の一つは、あのごもごもとした都会の雑踏であつた。この二つの中へ雑るとき、彼はただ、何といふこともなく確かに雑るといふ実感がして、深く身体の溶け消えてゆく状態を意識することが出来るのであつた。日頃負ふてゐる重荷をも路傍へ落し忘れて、静かにそして百方へ撒かれてゆく軽快なリズムを、耳を澄ませば一種じんじんと冴えわたる幽かな音響に、聴き分けることも出来るのであつた。彼は元来脆弱な体質で、山に攀挙することの苦痛は並大抵なものではなかつた。しかし山を降りてからのまる一年、またうらうらと雲の浮く季節になるまでといふもの、追憶の中に浮び出る青々とした山脈の姿は、その彷彿とした映像の中に登攀してゐる彼の像が、その時は喘ぎ苦しむこともなく、ただひたひたと四方の明暗に浸透してゆく愉快な実感を認識させるのであつた。山の沈黙にゐて思ひ出す雑踏の慈愛と同様に、雑踏にゐてふと紛れ込む山脈の映像は、恰も目に見え、耳に冴え、皮膚に泌みる高い香気を持つものであつた。それは丁度、使ひ古して疲労困憊した観念が、その故郷に帰滅してゆくかのやうな懐しさを持つものであつた。その劇しいのすたるぢいに犯された瞬間に、彼は身体の隅々に強烈な涸渇を感じながら、もしその時この雑踏の中で一つぺんに気絶したなら、何かふうわりとした夢幻的な方法で、次の瞬間にはその身体が山へ運ばれてゐるのではあるまいかと思はれたりした。そんな時だ、手の置き場所が分らなくなつて、手がそれ自身意志を持つ動物であるかのやうに、肩や腰や背や空や、あてどもなく走り出し騒ぎはぢめるのは。――そんな一日のこと、彼は雑踏のさ中で、ふと蜂谷龍然を思ひ出したのだ。それは別に深い意味があるわけではない。彼は旅費が不足してゐた、そして龍然は山奥に棲んでゐた。
 龍然は、学生時代にも、凡太とそれ程親密な間柄ではなかつた。ただ、二人共ほかに親しい級友を持たなかつたので、かなり親しい友達のつもりで、時々往復し合つてゐた。結局卒業してしまふまで、「あります」「あなた」といふやうな敬語を…

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