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竹藪の家
たけやぶのいえ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出一~三「文科 第一輯」春陽堂、1931(昭和6)年10月1日発行<br>四「文科 第二輯」春陽堂、1931(昭和6)年11月1日発行<br>五「文科 第三輯」春陽堂、1931(昭和6)年12月25日発行<br>六「文科 第四輯」春陽堂、1932(昭和7)年3月3日発行<br>七~九「黒谷村」、1935(昭和10)年6月25日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-06-29 / 2016-04-04
長さの目安約 149 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 ――首縊つて死んぢまへ! お前が、さう言つたんぢやないか。早く首縊れつたら。莫迦莫迦莫迦ア! なぜ早く首縊らないのだ――

 家の裏手には一面に、はや年を経た孟宗のひつそりとした林が深い。朝朝の陽射しが水泡のやうにキラキラと濡れて、深い奥にもまばらに零れ、葉が落ちて濡れてふやけた篁の土肌から、いきれた臭気がムウンと顔に噎せながら其処ら一面に澱んでゐる――その篁が曲者であつた。
 郊外の(一足踏み出せば、もはや涯も無い武蔵野の田園が展けてゐる――)この傾いた破れ長屋に居候を始めてから丁度二週間にもなるのだが、硝子窓を炒るやうな鋭く冴えた朝朝の太陽に蹴散らかされて、樅原駄夫が濁つた目覚めを迎へると、それが晴れた日の合唱ででもあるやうに、裏の篁から夫婦喧嘩のざわめきが、この上もなく朗らかに聴きとれてくる。駄夫はアアアンと変にショボショボ欠伸をして、間の抜けた朝の陽気にてれ乍ら、まだ散漫な神経を搾る様に寄せ集めて、篁の高い物声を捉へるために二つの耳をジインと澄ませる。寝床から其れのみ擡げられた一つの首が、明るい朝の光線の中へ花瓶のやうにユラユラと浮び上つて揺らめいてゐる、其れが又晴れたる朝の序曲でもあつた。
 ――お前は首を縊つて自殺するのだと、いま断言したではないか! なぜ早く死なないのだ。早く首縊れつたら、首を縊つて足をバタバタ顫はせて、ギュッと[#挿絵]みたいに唸つてくたばれ! それがお前に一番よく似合ふ恰好だあ。気の強いおん坊なんざ惚れちまは。邪魔せずに眺めてゐるから、早く首縊つて牛肉屋の牛肉みたいに温和しいブラブラになりやがれ! 早く牛肉にならないか、不潔な肉の魂めえ!
 ――お前こそ汚い性慾の塊ぢやないか! 人殺しの半鐘泥棒だ! お前こそブラブラぶら下つたら、裏なりの糸瓜みたいに長く細くつて良く恰好が取れてらあ。栄養不良の糸瓜ぢやないか! ブラブラ竹藪にブラ下つて、日の暮れるまで風に吹かれて揺れてろ! ア、ア、ア、痛々々々……ア、痛い! 人殺し! ヒ、人殺し! 畜生! 弱い女を打つ奴があるものか! 食物の中へ猫イラズを仕込んでやるから覚えてろ!
 ――チェッ、悪女め、ぬかしやがつた。てめえこそ妲妃のお百だあ。出て行きやがれ! てめえなんざ不潔極まる肉魂だぞ。悪徳と性慾の掃溜みたいな奴だ。醜悪でえ!
 ――フ、フ、フン。お前が死ぬまで出て行かないからさう思へ! 紫色の斑になつてお墓へ行け! 坊主に払ふお布施も無いや。死に損ひの肺病やみい! 札附きの気狂ひで出来損ひの落伍者ぢやないか! 共同墓地へ埋まつて、雨の降る晩にお化けになれ! アアいい気味だ。ざまみろ!…………
 この家の主人野越与里、野越総江の両名は、篁の深い沈黙に於てのみ夫婦喧嘩を試みる居常の習慣也と思はる。思ふにそれは、老いたる母への気兼ねから此の篁へ隠れ去るものとも推定されるが、又何等…

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