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村のひと騒ぎ
むらのひとさわぎ
作品ID45805
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「三田文学 第六巻第一〇号」三田文学会、1932(昭和7)年10月1日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-06-15 / 2016-04-04
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その村に二軒の由緒正しい豪家があつた。生憎二軒も――いや、二軒しか、なかつたのだ。ところが、寒川家の婚礼といふ朝、寒原家の女隠居が、永眠した。やむなく死んだのであつて、誰のもくろみでもなかつたのである。ことわつておくが、この平和な村落では誰一人として仲の悪いといふ者がなく、慧眼な読者が軽率にも想像されたに相違ないやうに、寒川家と寒原家とは不和であるといふ不穏な考へは明らかに誤解であることを納得されたい。
 寒原家の当主といふのは四十二三の極めて気の弱い男であつた。この宿命的な弱気男は母親が息を引きとるとたんに、今日は此の村にとつてどういふ陽気な一日であるかといふ気懸りな一事を考へて、よほど狼狽しなければならなかつた。つまり、ひどく担ぎやの寒川家の頑固ぢぢいを思ひ泛べてゴツンと息をのんだのである。
「お峯や……」と、そこで彼は長いこと思案してから急に斯う弱々しい声で女房に呼びかけたが、彼の顔色や肩のぐあいや変なふうにびくついてゐる唇をみると、彼もよほどの決意を堅めたといふことが分るのである。「お前はこういふことに大変くわしいと思ふのだが、あのねえ、お峯や、高貴な方には一日ばかり発喪をおくらすといふことも間々あるやうに言はれとるが……」
 ところが、めざとい女房は夫の魂胆をひどく悪く観察してしまつた。とはいふものの、勿論それは半分図星であつたには違ひない。寒原半左右衛門はだらしのない呑み助であつた。ことに他家の振舞酒をのむことが趣味にかなつてゐた。おまけに、凡そ能のない此の男だが金輪際たつた一つの得意があつて、村の衆に怪しげな手踊を披露する此の重大な一事にほかならなかつたのだ。全身にまばゆい喝采を浴びたこの幸福な瞬間がなかつたとしたら、彼はとうの昔に首でもくくつて――いや、これは失礼。極めて小数の人達しか知らない悪い言葉を私はうつかり用ゐたのである。
「おや、この人は変なことをお言ひだよ」と、そこでお峯は怖い顔で半左右衛門を睨みつけた。「胸に手を当ててごらん! わたしたちは高貴な身分どころではありませんからね!」
 弱気な半左右衛門が脆くもぺしやんこになつたのは言ふまでもない。
 事の起りに就ては医者が悪いといふ意見が専ら村に行はれてゐる。勿論彼の腕前に就ての批難ではない。彼の注射は早くから評判が高かつたので、どんなに熱の高い病人でも譫言や悪夢のなかで注射の針を逃げまわつてゐた。だから、その方面の間違ひは決して起る筈がなかつたのだ。問題は彼の口である。即ち、前段で述べたやうな会話がまだ寒原家の一室で取り交はされてゐる時分に、この宿命的な不幸はもはや村一面に流布してゐた。もし彼の口さへなかつたとしたら――弱気な、そのうへ酒と踊に異常な情熱をもつた諦らめの悪い半左右衛門は、思ひ出してはねちねちと拗ねて、短い秋の一日ぐらいはどうなつたか知れたものではない。
 さて、…

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