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愉しい夢の中にて
たのしいゆめのなかにて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「桜 第二巻第三号」近藤書店、1934(昭和9)年4月1日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-05-30 / 2016-04-04
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 昨夜、ちやうど河田の夢を見た。
 私は見知らない藁屋根のある農家の庭をぶら/″\してゐた。旅先であつたらしい。ひどい旅愁に苦しめられてゐたのである。どつちを眺めていいのか分らなかつたり、どの見知らない方角を眺めることも苦しかつたり怖ろしかつたり、身体が蒼白く痩せてしまひさうな心細い旅愁であつた。すると、暗い樹木の中から、まつさをな死の顔をした人間が黙つて私に近づいてきた。見ると死んだ河田であつた。幽霊だと思つたので、そのとき私はたしかに胸がしめつけられたやうに記憶してゐる。「河田の幽霊か」と私は言つた。
 すると河田は、あの男の独特な苦笑とも哄笑ともつかない複雑な又可憐な笑ひを浮べて、
「人ぎきの悪いことを言つてくれるな。僕は精霊ぢやよ」と答へた。いかにもあの男の言ひさうなことである。ところが私は、これは又いかにも私らしい愚かなことを白状しなければならないが、たいへん慌ててしまつて、
「俺は今どうしていいか見当のつかない雲のやうなメランコリイの中で苦しんでゐる。君が精霊といふ結構な身分なら、なんとかして俺に勇気と楽しさを与へてくれ!」
 私は河田がなんと答へたか記憶してゐない。場面は突如一変して私は河田と肩を並べて美くしいブルバルを歩いてゐた。あんな美くしい道は日本には実在しない。絵ハガキで見たニースの海岸か、そのへんであらう。そこへ、私達の後から立派なタクシーが来たので河田はだしぬけに呼びとめた。
「ニコライ堂まで三十銭」
 あの男はよく三十銭に自動車をねぎつたものであつた。大概の運転手は返事もせずに行き過ぎてしまふのが普通であつた。ところが夢の中の車もまさにその通りであつた。否とも言はずに駆けぬけたのである。しかるところ十間と走らないうちに自動車は急停車した。動かなくなつたのである。ところが驚いたことには、置き残された筈の私達はちやんと自動車に腰かけてゐたのだ。
「ははん」
 河田は変にニヤ/\と咳ばらひしながら扉をあけて事の外へ出た。私もつづいて出た。運転手の驚愕の顔、恐怖の表情といつたらない。私達が降りると車は走りだした。
「面白い? 素晴らしい?」
 私は有頂天に絶叫した。
「河田! もつと/\この道のつきるところまで、この遊びをつづけさせてくれ!」
 それから私達は、同じ悪戯をくりかへして無我夢中の有頂天の中を歩いてゐたのだつた。夢はそこで終る。毎日の悪夢とはまるで別な、私には稀な楽しい夢であつた。併しあの夢の中でも、私はやはり退屈してゐたやうに覚えてゐる。無理に有頂天にならうとしてゐた。さういふ時に、現実では決して有頂天になれずに益々メランコリイになるのに、あの夢の中ではたしかに有頂天になりきれたやうに自分を誤魔化しおはせることができたやうであつた。そして、たしかに楽しかつたのである。こんな楽しい綺麗な夢は一年に一度ぐらゐしかない。
 そこで…

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