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意慾的創作文章の形式と方法
いよくてきそうさくぶんしょうのけいしきとほうほう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「日本現代文章講座 Ⅱ―方法篇」厚生閣、1934(昭和9)年10月13日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-06-29 / 2016-04-04
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 小説の文章を他の文章から区別する特徴は、小説のもつ独特の文章ではない。なぜなら小説に独特な文章といふものは存在しないからである。
「雨が降つた」ことを「雨が降つた」と表はすことは我々の日常の言葉も小説も同じことで、「悲しい雨が降つた」なぞといふことが小説の文章ではない。
 勿論雨が「激しく」降つたとか「ポツポツ」降つたとか言はなければならない時もある。併し小説の場合には、雨の降つたことが独立して意味を持つことはまづ絶対にないのであつて、何よりも大切なことは、小説全体の効果から考へて雨の降つたことを書く必要があつたか、なかつたか、といふことである。
 小説の文章は必要以外のことを書いてはならない。それは無用を通りこして小説を殺してしまふからである。そして、必要の事柄のみを選定するところに小説の文章の第一の鍵がある。
 即ち小説の文章は、表現された文章よりもその文章をあやつる作者の意慾により以上重大な秘密がある。作家の意慾は表面の文章に働く前に、その取捨選択に働くことが更に重大なのだ。小説の文章は創作にも批判にも先づ第一に此の隠れた意慾に目を据えなければならない。
 愚劣な小説ほど浅薄な根柢から取捨選択され一のことに十の紙数を費すに拘らず、なほ一の核心を言ひ得ないものである。それにひきかえ傑作の文章は高い精神によつて深い根柢から言ひ当てられたもので、常にそれなくしてはありえなかつたものである。



 前述のやうに、まづ意慾が働いてのち、つづいて表現が問題となる。
 一般の文章ならば、最も適切に分り易く表はすことが表現の要諦である。この点小説の文章も変りはない。併しながら小説には更に別の重大な要求があるために、必ずしも適切に分り易くのみ書くわけにいかない。
 即ち、作家はAなる一文章を表現するに当つて、Aを表現する意慾と同時に、小説全体の表現に就ての意慾に動かされてゐる。Aに働く意慾は当面の意慾には違ひないが、実は小説全体に働く意慾の支流のやうなものである。従而、Aなる文章はAとして存在すると同時に、小説全体のための効果からAとして存在する必要にせまられる。つまりAとして直接の効果をねらうと共に、Aとして間接の効果をねらつてゐる。のみならず、単に間接の効果のためにのみ書かれる文章もあるのである。
 そのために、文章を故意に歪めること、重複すること、略すこと、誇張すること、さらには、ある意図のもとに故意に無駄をすることさへ必要となつてくる。ことに近代文学に於て、文学が知性的になり、探求の精神が働くに順ひ、かういふ歪められた文章も時には絶対に必要とされる場合も起るのである。
 併し文章を故意に晦渋にするのも、畢竟するに、文章を晦渋にしたために小説の効果をあげ、ひいては小説全体として逆に明快簡潔ならしめうるからに他ならない。単に晦渋のために晦渋を選ぶことでは…

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