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枯淡の風格を排す
こたんのふうかくをはいす
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「作品 第六巻第五号」1935(昭和10)年5月1日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-07-08 / 2016-04-04
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「枯淡の風格」とか「さび」といふものを私は認めることができない。これは要するに全く逃避的な態度であつて、この態度が成り立つ反面には人間の本道が肉や慾や死生の葛藤の中にあり、人は常住この葛藤にまきこまれて悩み苦しんでゐることを示してゐる。ところが「枯淡なる風格」とか「さび」とかの人生に向ふ態度は、この肉や慾の葛藤をそのまま肯定し、ちつとも作為は加へずに、しかも自身はそこから傷や痛みを受けない、といふことをもつて至上の境地とするのである。虫がいい、といふ言種も、このへんのところへ来ると荘厳にさへ見えるから愉快である。
「枯淡なる態度」が煩瑣を逃れて山中へでも隠れ孤独を楽しむといふやうな、単に逃避的なものであるならまだ許せるが、現世の葛藤をそのまま肯定し、しかも自身はそこから傷も痛みも受けないといふ図々しい境地になると、要するにその人生態度の根幹をなすところの一句は、自らの行ふところに悔ひをもつべからずといふことである。自らの行ふところを善なりとか美なりと強調しない代りには、悪なり醜なりと悔ひないところにこの態度の特質がある。自らの行ふところは人にも之を許せといふと、ひどく博愛にきこえるが、事実はさにあらず、これほどひねくれたエゴイズムはある筈がないし、自分にとつて不利な批判的精神といふものを完全に取りさらうといふのだから、これほど素朴であり唾棄すべき生き方は他にない。人生の「枯淡なる風格」とは自らに悩みの種の批判的精神を黙殺することによつて生れた風格に他ならない。
 河上徹太郎氏が人間修業といふことを言つてゐたのは、こういふインチキな諦観をもつて至上とする境地に就て説いたものでは無論ないが、元来、これまで日本に於て政治家実業家あたりが人間修業と称して珍重したものは、このインチキな風格であつた。後悔や内省は若いといふのである。峻烈な自己批判から完全に目を掩ふたところで「人間ができた」といふことになり、恰も人生の深処に徹したかの盛観をなす、まことに孤り静かな印度の縁覚を目のあたりに見る荘厳だが、根底に於てこれほど相対的な功利的計算をはたらかしたものは珍らしい。悔ゆべきところに悔ひを感じまいとする毒々しい虫のよさもさることながら、他人に許されるために他を許さうとする、かういふ子供同志の馴れ合ひのやうな無邪気な道徳律が、恰も人生の最深処の盛観を呈して横行してゐるのが阿呆らしいのだ。枯淡といふと如何にも救はれた魂を見るやうであるが、実は逆に最も功利的な毒々しい計算がつくされてゐる。小成に安んじ悩みのない生き方をしやうと志す人々にとつて、枯淡の風格がもつ誤魔化しは救ひのやうに見えるかも知れぬが、真に悩むところの魂にとつて、枯淡なる風格ほど救はれざる毒々しさはないのである。葛藤の中に悩みもがく肉慾吝嗇はどのやうに醜悪でも、悩むが故の蒼ざめた悲しさがある。むしろ悲痛な救ひさへ感…

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