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文字と速力と文学
もじとそくりょくとぶんがく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 03」 筑摩書房
1999(平成11)年3月20日
初出「文芸情報 第六巻第一〇号」1940(昭和15)年5月20日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-10-29 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私はいつか眼鏡をこはしたことがあつた。生憎眼鏡を買ふ金がなかつたのに、机に向かはなければならない仕事があつた。
 顔を紙のすぐ近くまで下げて行くと、成程書いた文字は見える。又、その上下左右の一団の文字だけは、そこだけ望遠鏡の中のやうに確かに見えるのである。けれどもさういふ状態では小説を書くことができない。さういふ人の不自由さを痛感させられたのであつた。
 つまり私は永年の習慣によつて、眼を紙から一定の距離に置き、今書いた字は言ふまでもなく、今迄書いた一聯の文章も一望のうちに視野にをさめることが出来る、さういふ状態にゐない限り観念を文字に変へて表はすことに難渋するといふことを覚らざるを得なかつた。愚かしい話ではあるが、私が経験した実際はさうであつた。
 私は眼を閉ぢて物を思ふことはできる。けれども眼を開けなければ物を書くことはできず、尚甚しいことには、現に書きつゝある一聯の文章が見えない限り、次の観念が文字の形にならないのである。観念は、いつでも、又必らず文字の形で表現なし得るかのやうに思はれるけれども、人間は万能の神ではなく優秀な機械ですらない。私は眼鏡をこはして、その不自由を痛感したが、眼鏡をかけてゐても、その不自由は尚去らない。
 私の頭に多彩な想念が逞しく生起し、構成され、それはすでに頭の中で文章の形にととのへられてゐる。私は机に向ふ。私はただ書く機械でさへあれば、想念は容易に紙上の文章となつて再現される筈なのである。が、実際はさう簡単には運んでくれない。
 私の想念は電光の如く流れ走つてゐるのに、私の書く文字はたど/\しく遅い。私が一字づゝ文字に突当つてゐるうちに、想念は停滞し、戸惑ひし、とみに生気を失つて、ある時は消え去せたりする。また、文字のために限定されて、その逞しい流動力を喪失したり、全然別な方向へ動いたりする。かうして、私は想念の中で多彩な言葉や文章をもつてゐたにも拘らず、紙上ではその十分の一の幅しかない言葉や文章や、もどかしいほど意味のかけ離れた文章を持つことになる。
 この嘆息は文章を業とする人ばかりでなく、手紙や日記を書く人も、多かれ少かれ常に経験してゐることに相違ない。
 私は思つた。想念は電光の如く流れてゐる。又、私達が物を読むにも、走るが如く読むことができる。ただ書くことが遅いのである。書く能力が遅速なのではなく、書く方法が速力的でないのである。
 もしも私の筆力が走るが如き速力を持ち、想念を渋滞なく捉へることができたなら、どうだらう。私は私の想念をそのまゝ文章として表はすことが出来るのである。もとよりそれは完成された文章では有り得ないけれども、その草稿を手掛として、観念を反復推敲することができ、育て、整理することが出来る。即ち、私達は文章を推敲するのではなく、専一に観念を推敲し、育て、整理してゐるのである。文章の本来は、ここ…

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