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盗まれた手紙の話
ぬすまれたてがみのはなし
作品ID45854
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 03」 筑摩書房
1999(平成11)年3月20日
初出「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林、1940(昭和15)年6月1日
入力者tatsuki
校正者北川松生
公開 / 更新2016-10-07 / 2016-09-09
長さの目安約 60 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有ることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾て精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿い…

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