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イノチガケ
イノチガケ
副題――ヨワン・シローテの殉教――
――ヨワン・シローテのじゅんきょう――
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 03」 筑摩書房
1999(平成11)年3月20日
初出前篇「文学界 第七巻第七号」1940(昭和15)年7月1日発行、後篇「文学界 第七巻第九号」1940(昭和15)年9月1日発行
入力者tatsuki
校正者美濃笠吾
公開 / 更新2010-10-20 / 2014-09-21
長さの目安約 97 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

前篇 マルチル・マルチレスの数々


 一五四七年一月、一艘のポルトガル商船が九州の一角に坐礁して引卸しにかゝつてゐると、丘の上から騎馬で駈け降りてきた二人の日本人があつて、手拭を打ちふり、その船に乗せてくれないかと叫びたてゝゐる。
 四名の水夫がボートを下し岸へ漕ぎ寄せて聞いてみると、事情があつて追跡を受けてゐる者であるが、かうしてゐるうちにも追手の者が来さうであるから、船に乗せて一時の急を救つてもらひたいといふ頼みである。
 水夫達は当惑したが、見れば一人はかねて九州ヒヤマレゴ(該当地不詳)の港で面識のある者であるから、とにかくボートに乗せて本船へ漕ぎもどることにした。
 ところへ同じ丘の上から十四名の騎馬の者が現れてきて、二人の者を渡さなければ鏖殺しにしてしまふと敦圉いて罵り騒いでゐる。そこへ又九名の者が駈けつけてきて、追手の数は二十三名となつた。
 水夫達は驚いて急ぎ本船に漕戻り、二人を乗せて印度へ向けて立去つた。なかの一人を弥次郎と言つた。
 この船の船長はかねて印度の開教者フランシスコ・サビエルの徳を慕ふ者だつたので、弥次郎の行末をあはれみ、改宗をすゝめて、サビエルに会ふ手引をした。その年十一月、弥次郎は馬拉加でサビエルに会ふことができた。
 印度土人は無智野蛮で、生活は本能のまゝであり、懶惰狡猾で信義がなかつた。基督教のいましめは彼等にとつて死を意味した。サビエルは布教の前途に失望の念を抱かざるを得なかつた。
 さて、弥次郎と暫らく起臥を共にして指導してみると、彼の天性怜悧であり、信義に厚く、信仰は又熾烈である。日本人とはこのやうな者であるなら、日本こそ布教すべき地であるとサビエルは思つた。弥次郎を遣はされたのも日本を伝道せよとの天父の聖旨であらうと信じ、こゝに日本伝道を決意、弥次郎をゴアの学院へ送り、諸般の準備をとゝのへた。弥次郎はゴアで洗礼を受け、その教名をパウロと言つた。
 トルレス神父、フェルナンデス法弟、その他の者を従へ、パウロの案内によつてその故郷鹿児島へ上陸したのは一五四九年八月十五日、聖母まりや昇天祭の日であつた。
 弥次郎の縁者知己はその転宗を怪しまず、遠く海外を遍歴した勇気を賞讃。島津貴久はパウロ弥次郎を引見して、跪いて聖母まりやの絵姿に礼拝し、改めてその油絵を懇望したが、他に代るべき絵姿がなかつたので応じるわけにいかなかつた。
 一般に日本人は宗教に淡泊である。異体の知れない唐天竺の神様でも、神様とあれば頭の一度や二度ぐらゐいつでも下げるに躊躇しない代りには、先祖代々の信心にもそれほど執着してゐない。
 日蓮が大きな迫害を受けたのは、彼自らが他宗を非難したからであり、基督教の布教でも、仏僧に宗論を吹かけ、仏僧の堕落を難じ、事毎に異端に向つて敵対を示さなければ、彼等の受けた迫害も尠かつたに相違ない。
 一般の善男善女はサビエ…

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