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風人録
ふうじんろく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 03」 筑摩書房
1999(平成11)年3月20日
初出「現代文学 第三巻第一〇号」大観堂、1940(昭和15)年11月30日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-11-06 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

   一 有りうべからざる奇怪のこと

 この世には、とても有り得まいと思はれることが、往々有りうるのである。しかも奇妙なことには、さういふ事に限つて、さて実際行はれてみると、人々になんの注意も惹かず、不思議な思ひすら与へず、有耶無耶のうちに足跡もなく通過してしまふ。
 先年、ある男が鉄道自殺をしようとして、驀進してきた貨物列車に向つて、走幅飛の要領で、猛烈なスピードをつけて飛びこんだ。これによつてみても、自殺は必ずしもセンチメンタルなものではない。スポーツのやうに勇壮で、生命と青春に溢れてゐる場合もあるのである。
 ところが惜しいことに、この選手は失敗した。といふのは、あんまり勢ひが良すぎたので、線路を飛び越してしまつて、間一髪のところで、線路の左右位置を異にしたこの選手の生命を無事置き残して、列車は通過してしまつたのである。
 この男は列車によつてゞはなく、列車を飛び越したことによつて、瘤や傷をつくつたけれども、生命に別状なく、且、この意外な結果にびつくりして、自殺を断念してしまつた。
 かういふ稀有な出来事も実際有りうるのである。このことが実際起つた数年或ひは十数年以前に、我国のある戯曲家がかういふ稀有な場合を想像して(――恐らくこんなことが実際有り得ようなどゝは思はずに――)一幕の喜劇を創つてゐた。読者や観客も亦、こんなことが実際有り得ようとは夢にも思はず、作者の奇智を娯しんでゐたのであつた。
 この奇抜な出来事は翌日の新聞に、落し物や寄附の記事とまぢつて、最も小さく報道された。さうして人々の注意も惹かず、尚悪いことには、かういふ事も有りうるといふ科学的役割を果すことなく、有耶無耶のうちに時の眼を素通りしてしまつたのである。
 まつたくもつて新聞といふものは、その報道の理論的基礎が曖昧である。人殺しを五段抜きで報道すべきであるか、この不可思議な出来事を五段抜きで紹介すべきであるか、どちらが有益であるかといへば、これには多くの議論が必要な筈で、生憎我々の新聞の報道精神には、さういふ理論的検討の基礎づけを見出すことが出来ないのである。

   二 寂念モーローの先生並に颯爽の先生のこと

 ところで、ある日、奇妙な出来事が起つた。
 とある坊主の大学校――といつては何のことやら理解の出来ない読者がゐるかも知れないが、仏教の宗派を細別すると何百何十になるのか坊主自身が知らないだけの数があり、大別して十幾つかの宗派があつて、これがみんな例外なしに各の大学校を持つてゐるのである。
 この大学校の先生は言ふまでもなくみんな坊主で(これは間違ひない)同時に学者(この方はお釈迦様だけが御存知だ)の筈なのである。
 さういふ先生の一人に、なにがし先生といつて、婆羅門哲学の先生がゐた。齢はまだ三十七八で、見たところ格服の良い紳士であるが、惜しいことには、いつも眠さうな顔…

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