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孤独閑談
こどくかんだん
作品ID45868
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 03」 筑摩書房
1999(平成11)年3月20日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-11-10 / 2014-09-21
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 食堂の二階には僕の外にノンビリさんと称ばれる失業中の洋服職人が泊つてをり、心臓と脚気が悪くて年中額に脂汗を浮かべ、下宿料の催促を受けて「自殺したうなつた」かう呟きながら階段を降りたり上つたりしてゐたが、食堂の娘の家出に就て、女学校の四年生に弁当の配達をさせるのがいけないのだ、と非常にアッサリ断定した。路で友達に逢うたら羞しうて気持の荒ぶ年頃やさかい、かう言ふ。女学校へあげるくらゐなら竈の前でこき使ふのは構はないが、弁当箱をぶらさげて配達に使ふのは甚だ宜しくない。だから不良少女になつたのである、といふ意見であつた。成程、人各々自分の生活から掴みだした一家の考察があるものだ、と僕は感心した。
 娘は十七であつた。不良少女と言つても、大それたことの出来る年頃ではない。生意気ざかりで、ちよつと軌道の外れたことをしてゐるといふ程度であつた。気立てのよい娘で、ひねくれた所はなく、たゞ愛情に非常にあこがれてゐた。特別な親子の関係のせゐであつた。
 娘は食堂の主婦の姉の子であつた。三つぐらゐの時に主婦が貰つてきたのである。いつたい本当に可愛がつてゐるのだか、どうだか、僕には一向に見当がつかぬ。家出した娘をたうとう見つけだして掴まへて来たとき、男があるかどうか、もう処女ではなくなつたかどうか、それを僕に突きとめてくれと言ふのである。娘はその前にも一度、家出した。そのときは喫茶店でひそかに働いてゐた。親の家にゐるのが、どうしても厭だと言ふのである。そのときは、然し、なんなく事が済んだけれども、今度の場合は、娘の態度がもつと決定的なものを示してゐた。父親母親にハッキリした敵意を見せてゐる。娘は親のきくことに一言半句の返事もしない。けれども全身に自信満々たる敵意が溢れてゐるのである。かういふものは、何か外の場所に、充分拠りどころのある愛情の対象をもたなければ、決して生れるものではない。涙一滴流さずに何か深く決意を見せて無言の行をつゞけてゐる娘に手を焼いて、僕の所へ頼んで来たのであつた。
 処女? その言葉をきいた時に、僕はびつくりした。その言葉に含まれた動物的な激しい意味が閃いたからである。それは男の僕が女を対象に眺めて云々した場合の「処女」といふ意味とはまるで違ふ。たゞ専一に親だけが子供に祈つてゐる「処女」であつた。何か信仰のやうな激しい祈りが感じられて、子供を持たない僕には思ひも寄らない唐突な言葉であつた。人間の中の一番動物的なものを感じたやうな気がしたのである。人間はやつぱり動物だ。こんなにも本能的な信仰を含んだ神秘が実在してゐる。――僕はびつくりして二人の親を眺めたが、思ひもよらず眼前へ出現した二人の動物を呆気にとられて眺めたと云ふ方が当つてゐる。
 僕は万やむを得ず娘を僕の部屋へよんで訊いてみた。男は立命館の予科の生徒で山口といふ名前だと云つた。殺されてもこの家にはゐま…

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