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人生三つの愉しみ
じんせいみっつのたのしみ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 11」 筑摩書房
1998(平成10)年12月20日
初出「新潮 第四八巻第四号」1951(昭和26)年3月1日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-03-23 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 アンタブスという酒が嫌いになる薬の実験者の話が週刊朝日に収録されていたが、効果テキメンというわけにはいかないらしい。すべて中毒というものは、当人に治そうとする意志がないとダメだということは、私自身が経験からそう感じていることであるが、アンタブスは服薬を中止すると又飲めるようになるらしいから、結局薬なしでも禁酒の意力を蔵している人だけが禁酒できるのではなかろうか。
 しかし、私はアンタブスの実験例から意外なことを知った。私は酒が嫌いになる薬など飲んだことはないが、二十年前から、時々アンタブスを飲んだと同じ状態を経験しているのである。
 だいたい私は酒の味が好きな人間ではない。若い頃は、先輩友人とのツキアイで酔うためにのんだ。というのは、あのころの文学者は酔っ払ってカラムのが好きで、あいにく私の飲み仲間はその術の達人ぞろいであった。牧野信一は酔うと意地わるになるし、小林秀雄、河上徹太郎はカラミの大家。中原中也のように酒がないと生気のないのもいるし、私はツキアイにムリに酔う必要があったが、実は当時から今もって酒の味は大キライだ。今では、もっぱら、眠るため、時々はバカになりたいために、イヤな味を我慢に我慢して飲むのである。
 飲んでるうちに、不味がいくらか忘れられる時は、胃袋の調子がよろしい時だ。時々一滴ものめなくなる。五勺ものまぬうちに、胸につきあげるような不快を覚え、完全に一滴ものめなくなるのだ。そういう時には、真ッ赤になるのである。ふだんは、酔えば酔うほど青くなる。けっして赤くはならない。私が赤くなるのは一滴ものめなくてムカムカ吐き気に苦しみだした時なのだが、人はそうとは知らないから、オヤ、今日は大そうゴキゲンですね。まだいくらも飲まないのに、などと言われる。酔うどころか、一滴ものめなくて、吐きそうなんだ、酒を見ただけで堪えられないのだと説明しても、誰も本当にしてくれないのが当然であろう。真ッ赤になって一滴ものめなくなり、酒を見るだけで吐き気がつきあげてくる、という状態が、アンタブスを服用後酒をのんだ時の状態なのである。
 私がこうなる時は、空腹でない時にのむ場合とか、宿酔のあととか、であるが、然し、季節的に考えて、鼻汁のでるころ、つまり冬、それがいけない。私は冬中鼻カゼをひき通しであるし、時には一年中その状態のこともある。この鼻汁がノドにはいると、いけない。意識しなければよいけれども、意識すると、もうダメだ。ムカムカと吐き気を催しはじめる。鼻カタルをフランスでは脳カタルと云うそうだが、私には、どうもその言葉の方が適切だ。
 週刊朝日のその号に、高野六郎博士が、自身用いている宿酔しない方法というのを説いておられる。水をガブ/\のんで歯をみがくと、歯ミガキ粉が少し自然にノドへはいって、それがシゲキとなって胃の中のものを全部はきだす、という方法である。その道の学…

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