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九段
くだん
作品ID45911
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 11」 筑摩書房
1998(平成10)年12月20日
初出「別冊文藝春秋 第二〇号」1951(昭和26)年3月5日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-03-27 / 2014-09-21
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 東京は小石川に「もみぢ」という旅館がある。何様のお邸かと見まごうのは、もとは何様かのお邸だから当り前の話。旧財閥や宮様の邸宅別荘が売り物にでて大旅館や料亭になっているのは全国的な現象で、この旅館に限ったことではない。
 ここが他といくらか違うのは、旧財閥の邸宅を買いとって旅館をひらいたのが、旅館業者や玄人筋ではなくてズブの素人。それも売った方と同じような身分のまア斜陽族――しかし、あかあかと斜陽を身にあびている没落者とちがって、こっちの方は瞬間的に没落期間があったかも知れないが、今では押しも押されもしない第一流旅館、大宴席。夕べともなれば高級車がごッた返して門前に交通整理の巡査が御出張あそばすほどの大繁昌だから斜陽などとはもっての外で、日蝕族とでも言うのだろう。ちょッと瞬間的に暗い期間があっただけさ。
 もう一つ変っているのは、ここの経営者は三人の姉妹であるということ。斜陽族に三人姉妹とくればチエホフにきまっているが、どういたしまして。さッきも申上げた通りの商売大繁昌、ニヒリズムなどと病的なるものは当家のどこにも在りやしない。
 三人姉妹にはそれぞれ旦那様のいらせられるのはムロンであるが、これは主として帳場に頬杖をついて帳づけなどに若干の精をだし、麻雀には見るからに精を入れていらせられるけれども、運転手の公休日や寝た夜などにお客を送り迎えするのは旦那様方で、そのチームワークは至れりつくせりである。
 さて、三人姉妹の呼び方がむずかしいや。日蝕族に何か天啓があって、これだ、と思ったのかも知れんが、一番姉さん、つまりこの旅館で最も敏腕を揮う中心人物を「オカミサン」というのである。二番目の元三田の小町娘は姉さんよりも身長が高く、テニスがうまい。そのほかはゴルフをやっても碁をやっても英語をやっても万端姉サンに歯が立たない。これを「マダム」というのである。三番目のおとなしい妹を「奥サン」というのです。もう一ッぺん順序通りに並べて書きますから、まちがえないように覚えていただきます。一、オカミサン。二、マダム。三、奥サン。私は女中たちが彼女らの女主人の一人について語るとき、それが三人の中の誰であるかということを正しく判断するまでにはほぼ三年の歳月を要したのである。
 姉サンだけあって、オカミサンの才能は抜群らしい。デブデブふとった女将タイプとはちがって、小柄の痩せぎすのいかにも女らしい美人であるが、見かけによらぬ敏活なところがあるのである。ゴルフとダンスは達人の域だそうだ。碁は増淵四段に師事し、旅館業をはじめてから習い覚えたのが、五年目に初段格。毎週一回英国婦人が英語を教えにくる。バイヤーの旅館だから英語の心得がいるのである。私が時々仕事部屋に使う離れの附属座敷が教室で、勉強の様子が手にとるように聞えてくる。はじめは一家族、女中に至るまで出席していたが、自発的に脱落して…

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