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八歳の時の憤激
はっさいのときのふんげき
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「舞臺 岡本綺堂追悼號」 舞臺社
1939(昭和14)年5月1日
初出「舞臺 岡本綺堂追悼號」舞臺社、1939(昭和14)年5月1日
入力者門田裕志
校正者野口英司
公開 / 更新2010-03-30 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 隨筆家としての岡本綺堂を語れといはれて、「明治劇談・ランプの下にて」の中の、ある一章を思ひ出した。
 明治十二年、岡本先生八歳、父君にともなはれて新富座の樂屋に九代目市川團十郎をたづねたとき、坊ちやんも早く大きくなつて、好い芝居を書いてくださいと、笑ひながら言はれたのを、ただ、それだけならば、單に當座の冗談として聞き流すべきだつたが、更に、團十郎が父君にむかつて、
「わたくしはそれを皆さんに勸めてゐるのです。片つ端から作者部屋に抛り込んで置くうちには、一人ぐらゐ物になるでせう。」
 といつた、その一言に對して非常に憤激したことを明かに記憶してゐると、「市川團十郎」といふ章に記してある。その次の「似顏繪と双六」の章にも、前に云つたやうなわけで、芝居といふものに對する第一印象は餘り好くなかつたとも、それ以來、家の人たちが芝居見物にゆく場合には、いつも留守番をしてゐたとも書かれてある。
 癪にさはつて、出されたカステイラを毟つて食べ、お茶をがぶ/\飮んでゐた、岡本敬二坊ちやんを、眼にうかべて、わたしはそこのところを幾度も讀んだので忘れないでゐる。と、いふのも、わたくし自身も、幼いころは臆病で芝居に連れてゆかれると泣いて困らせたり、芝居茶屋の二階で人形をかざつてひとりで遊んでゐたりしたくせに、もの心附くと芝居が書いて見たくなつたのと思ひくらべて、そのをりはそんなに怒つた綺堂先生が、脚本をお書きなすつたことに、聯想した興味をもつたから忘れないのでもあつた。
 しかし、この、八歳の幼時の氣慨で、岡本さんの一生はまことに鮮かに解る氣がする。座附狂言作者以外の脚本家の立つ場所を、あの、暗雲低迷、もぢやもぢやした芝居道に、クツキリと、道をつけてくださつたといふことだけでも、後から行くものは全く恩としなければならない。それは、一つには、時代がさうしたのだといへば、もとよりそれもあるといへるが、また、さうばかりもいひきれないのがあの世界だ。岡本さんや眞山さんといつた硬骨の人がなければ、作家へ對する態度は、もつと、傍若無人で惡い状態でつゞいたかもしれない。
 隨筆といへば、あれは隨筆ではないが、「支那怪奇小説集」の譯をわたくしは愛讀してゐる。綺堂ものの中には「修禪寺物語」をはじめ、あの方のフランス文學に造詣の深いことを證據だててゐるが、支那の文學にあんなにまで徹してゐられることを、一般の人はよく知らないであらう。そして、それが、どんなに岡本さんの文學の血と膏になつてゐるかを見ると、勉強といふことを實によく教へられる。たしか「兩國の秋」といつたかと思ふが、尾上梅幸が帝國劇場で上演した蛇つかひの女の執念。それから、あれもたしかに綺堂さんの作と思つたが、菊五郎、梅幸で演じた「お化け師匠」踊りの師匠の妄念――それから小説では半七捕物帳の中の「むらさき鯉」その他。それらは「支那怪奇小説集」…

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