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法句経
ほっくきょう
作品ID45958
著者作者不詳
翻訳者荻原 雲来
文字遣い旧字旧仮名
底本 「法句経」 岩波文庫、岩波書店
1935(昭和10)年6月30日
入力者田中敬三
校正者小林繁雄
公開 / 更新2008-04-12 / 2016-07-01
長さの目安約 54 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     序

 法句の語は大別して二種の義に解釋せらる、一は法は教の義にして法句とは釋尊の教の文句なり、又他の一は法は本體を詮し、一切萬象の終極の體即ち涅槃の義、而して句の原語は元來足跡の義にして、轉じて道或は句の義となりしものなれば、その原の意味にて道の義と解すれば法句は涅槃への道とも譯せらる、涅槃への道は換言せば覺らす教の意味なり、今は何れにても可なれども、古來漢譯されて人口に膾炙せるまゝ法句と稱へたり。

   内容一般

 法句の内容は各章の題號にても察せらるゝが如く、佛教の立脚地より日常道徳の規準を教へたるもの、社會は生活苦、病苦、老苦、相愛別離の苦、仇敵會合の苦、乃至は死苦に惱まされ、さいなまる、如何にして是等の苦惱を永久に脱し得べきか、如何にして絶待安穩なる涅槃に達し得べきか、換言せば、世人は事物の眞相に通ぜず、妄念、謬見、貪愛、[#挿絵]慢等の心の病の爲に苦しめられ、不明にして執著し、違背し、日夜擾惱を増す、智慧の眼を開いて妄念に打克てば身心ともに安靜なることを得、終に涅槃の状態に達す、此の意味を教ゆるが佛教の目的なり、法句經の所詮なり、修養の龜鑑とし、道業の警策として、座右に備へ朝夕披讀し、拳々服膺せば、精神の向上發展、動作の方正勤勉、處世の要術、何れの方面にも良藥たらざる無し。

   製作者と年代

 法句經は全部頌文より成る、古代佛教の聖典たる律や經の中に散在せる金玉の名句を集めたるもの所謂る教訓句集(didactic stanzas)とか、華句集(anthology)とかと稱すべきものにて、作者は勿論釋尊とす、其書の性質上、時代を經るに隨つて本文に増減を來すを免れず、西紀二二四に竺律[#挿絵]と呉支謙とが共譯せる法句は五百偈本に更に足して七百五十三偈ありとす、而して支謙(?)の記する所に由れば當時已に五百偈、七百偈、九百偈の三本ありとす、今譯出する所の波梨本は二十六章四百二十三頌あり、重複せる一頌を除けば四百二十二頌なり、この頌數の少き點より見て波梨所傳の方が一層故きを知るべし。
 集録者は不明なれども、北方所傳の法句經即ち波梨所傳に増加したる集録は法救(Dharmat[#挿絵]ta)撰と傳へらる、而して法救の年代は詳ならざれども佛滅後約四百年、西紀前一世紀頃ならんと推定せらる、然らば波梨所傳の法句は前述の理に因り是より以前ならざる可らず、又集録せし時はたとひ佛滅後若干百年を經しとするも、集められたる頌文の大部分は佛陀の自説たるや疑なし、又後年佛弟子の追加[#挿絵]入の頌文を含むにしても。

   佛教中に於ける位置

 佛の説法は質問者ありて、此に對して酬答する時と、問者無きに佛が進んで教訓する時とあり、前者は對告衆の性質、情想等を顧慮して隨宜の説を爲し、所謂る應病與なれば、目的を達する爲には時と處とに應じて適宜の處致を採らるゝ…

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