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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
副題12 名高かった店などの印象
12 なだかかったみせなどのいんしょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者しだひろし
公開 / 更新2006-03-23 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 雷門に接近した並木には、門に向って左側に「山屋」という有名な酒屋があった(麦酒、保命酒のような諸国の銘酒なども売っていた)。その隣りが遠山という薬種屋、その手前(南方へ)に二八そば(二八、十六文で普通のそば屋)ですが、名代の十一屋というのがある。それから駒形に接近した境界にこれも有名だった伊阪という金物屋がある(これは刃物が専門で、何時でも職人が多く買い物に来ていた)。右側は奴の天麩羅といって天麩羅茶漬をたべさせて大いに繁昌をした店があり、直ぐ隣りに「三太郎ぶし」といった店があった。これはお歯黒をつけるには必ず必要の五倍子の粉を売っていた店で、店の中央に石臼を据えて五倍子粉を磨っている陰陽の生人形が置いてあって人目を惹いたもの、これは近年まで確かあったと覚えている。その手前に「清瀬」という料理屋があってなかなか繁昌しました。その横町が、ちっと不穏当なれど犬の糞横町……これも江戸名物の一つとも申すか……。
 清瀬から手前に絵馬屋があった。浅草の生え抜きで有名な店でありました。何か地面訴訟があって、双方お上へバンショウ(訴訟の意)した際、絵馬屋は旧家のこと故、古証文を取り出し、これは梶原の絵馬の註文書でござりますと差し出した処、お上の思し召しで地所を下されたとかで、此店が拝領地であったとかいうことでありました(並木と吾妻橋との間に狭い通りがあって、並木の裏通りになっている。これは材木町といって材木屋がある)。それから、並木から駒形へ来ると、名代の酒屋で内田というのがあった。土蔵が六戸前もあった。横町が内田横丁で、上野方面へ行くと本願寺の正門前へ出て菊屋橋通りとなる見当――
 内田から手前に百助(小間物店があった。職工用の絵具一切を売っているので、諸職人はこの店へ買いに行ったもの)、この横丁が百助横丁、別に唐辛子横丁ともいう。その手前の横丁の角が鰌屋(これは今もある)。鰌屋横丁を真直に行けば森下へ出る。右へ移ると薪炭問屋の丁子屋、その背面が材木町の出はずれになっていて、この通りに前川という鰻屋がある。これも今日繁昌している。これから駒形堂です。
 堂は六角堂で、本尊は観世音、浅草寺の元地であって、元の観音の本尊が祭られてあった所です。縁起をいうと、その昔、隅田川をまだ宮戸川といった頃、土師臣中知といえる人、家来の檜熊の浜成竹成という両人の者を従え、この大河に網打ちに出掛けたところ、その網に一寸八分黄金無垢の観世音の御像が掛かって上がって来た。主従は有難きことに思い、御像をその駒形堂の所へ安置し奉ると、十人の草刈りの小童が、藜の葉をもって花見堂のような仮りのお堂をしつらえ、その御像を飾りました。遠近の人々は語り伝えて参詣をした。それで駒形堂をまた藜堂とも称えます。そうして主従三人は三社権現と祭られ浅草一円の氏神となり、十人の草刈りは堂の左手の後に十子堂をしつらえて…

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