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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID45968
副題35 実物写生ということのはなし
35 じつぶつしゃせいということのはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷
入力者しだひろし
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-10 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治八、九年頃は私も既に師匠の手を離れて仏師として一人前とはなっておりましたが、さて、一人前とは申しながら、まだ立派に世に立つに到ったとはいえない。師匠の家は出たけれども、自分の家から師匠の家に通って仕事をしておりました。
 ところが、その時分は前に話した通り仏教破壊のあおりを食って仏に関係した職業は何事によらず散々な有様でありますから、したがって仏師の仕事も火の消えたようなことになりました。この社会の傾向を見ていると、私は、どうも考えぬわけには行かぬ。師匠東雲師のように既に一家を成して東京でも一、二の仏師と知られていれば、いかに社会が変化して来ても根柢が固まっているから、さほどに影響を受けもしません。また、受けるにしてもそれに受け応えることも出来ますが、私たちのように、まだ一向に基礎の確定しておらぬものは、生活するということからも考えねばならぬ。仏師という職業がこのまま職業として世の中に立って行けるものか。よしまた行けるとして、従来通りの仏師でやって行って好いものか、その辺のことについて考えて見るに、どうも不安でなりません。自分の職業とする仏師の仕事その物にも不安であると同時に、仏師の仕事によって糊口して行けるか否やについても不安である。いろいろ急激に社会の事物の変遷する時代は、何事によらず、その社会に生きて行く人の上には不安な思いが襲い掛かって参るもので、私も大いに熟慮を要しなくてはならないと思ったことがあります。
 されば、段々と仏師への注文が少なくなって来る。師匠東雲師の店においても従前とはよほど仕事の数が減って参りまして、この先どうなることか心配をしている……が、ここにまた時勢の変遷につれて、いろいろな事が起って来る中に、横浜貿易というものが恐ろしい勢いで開けて来ました。それで、その貿易品が一般に流行する所から、貿易品的な置き物のようなものの注文が大分師匠の許に来るようになった(その頃は貿易といわず交易といっていた)。しかし、従前通りの手法で仏様を長くやっていたこと故、その習慣上貿易品向きのものを製作するとしても、どうしても仏様臭くなってしようがない。仏様を作るには仏様臭いのは仕方もないが、貿易品的のものに仏臭のあるのは面白くない。どうかしてこの仏臭を脱して写生的に新しくやって見たいものだということが私の胸に浮かんで来ました。
 もっとも、この考えは今さらのことでなく、私の年季中から既に芽差していたことで、何かにつけ心掛けてはおりましたが、いよいよ社会の要求に駆られるようになって見ると、事実その写生的に行く方のやり方を実行して見たくなったのであります。すなわち、私自身としては自分の製作の態度や方法を一変して新しくやって見ようという心を起したのであります。
 そこで、まず差し当っては、何をその研究の資料にするかというと、従来のお手本とは全く違った方…

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