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「伽羅枕」及び「新葉末集」
「きゃらまくら」および「しんはずえしゅう」
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學体系6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「女學雜誌 三〇八號~三〇九號」女學雜誌社、1892(明治25)年3月12日、19日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2006-05-20 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 一は実を主とし、一は想を旨とする紅葉と露伴。一は客観的実相を尚び、一は主観的心想を重んずる当代の両名家。紅葉は「伽羅枕」を、露伴は「辻浄瑠璃」を、時を同うして作り出たり。此二書に就き世評既に定まれるにも拘らず、余は聊余が読来り読去る間に念頭に浮びし感を記する事となしぬ。
 余は二作を読み了りける後、奇しくも実想相分るゝ二大家の作に同致の跡瞭然見る可き者あるを認めぬ。従来の諸作は分明に紅葉をして細微なる人情の観察者たらしめ、露伴をして逸調の奇想を吐く者たらしめたるに、不思議にも「伽羅枕」及「新葉末集」に至りて、両家の意匠の、其外部の形式の如何に拘らず、陰然相似たる所あるが如し。
 紅葉の佐太夫は女性にして、露伴の道也は男性なり。然れども両著者の意匠中に入りて其奥を窺へば、佐太夫も道也も男女の境を脱して、混沌として唯だ両主人公の元素同一なるを認むべきのみ。佐太夫とは歴々武士の落胤、道也とは名家釜師のなれの果て、其生立を聞けば彼も母一人此も母一人、彼は娼家に養はれ、此は遊蕩と呼ぶ[#挿絵]母に養はる。彼は売色塲裡に人と成り、此も好色修行に身を抛ち、彼も華奢豪逸を以て心事となし、此も銀むくの煙管を路傍の狗に与へて去るの傲遊を以て快事となす。此等の同致を列記すれば際限あらじ、然れ雖余が此二作の意匠相似たりと言ふは、此等外部の同致のみにあらず、作家着想の根本に入りて、理想の同致あるを認めたればなり。
 若し推して言ふ事を得せしめば、紅葉は露伴の長所に、少くとも乗入らんとせしなり、而して露伴も亦た「対髑髏」、「奇男児」等の鋭利なる奇想を廻り遠しとや思ひけむ、紅葉独得の写実界にまぐれ込まむとの野心を抱きしなり。故に「伽羅枕」は紅葉従来の作に見る可からざる奇気を吐けり、而して「新葉末集」は露伴が登壇以来見せし事なき人情の微妙を細察したり。然れども余は両作家の位地全然転倒したりと言ふにはあらず、唯だ紅葉は露伴に近づき、露伴も亦た紅葉に近寄り、而して紅葉は紅葉の本躰を備へ、露伴は露伴の実色をあらはすと言ふのみ。某評者の言へりし如く、佐太夫の生涯は江戸の苦海に沈みし後、前半部とは全く異れる人物となれり。又た同評者の言はれし如く、所々に時代違ひの如き者あり。要するに彼が其実姉に会ひて後の心想は全く変じて、前半部若し紅葉独得の写実筆法なりせば、後半部はむしろ理想――遊廓内の女豪傑を写す筆法を変じ来りて、往々にして有り得べからざるが如き事実を写し出す事、他の諸作に比して不似合なるを覚えしむ。究竟するに紅葉は実を写す特有の天才より移つて、佐太夫なる、或意味に於ての理想的伝記を画き出たるを以て、平常の細微巧麗なる紅葉の作を読み慣れたる眼には、何となく琴曲を欲ふ時に薩摩琵琶を聞くが如きの感あるなれ。余は佐太夫を以て紅葉の理想なりとは断ぜず、唯だ其性質の天晴傾城の神とも言はる可き程なるを見て、…

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