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深憂大患
しんゆうたいかん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明治文學全集 36 民友社文學集」 筑摩書房
1970(昭和45)年4月30日
初出「國民之友」1895(明治28)年4月23日
入力者kamille
校正者川山隆
公開 / 更新2008-07-04 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

今や我國家、朝鮮の爲めに師を出し、清國の勢力を朝鮮より一掃し、我公使をして其改革顧問たらしめ、我政治家をして、其の參贊たらしむ。朝鮮あつて以來、我勢力の伸張する、未だ曾て此の如きはあらず。此に於てか國民、揚々として自得し、朝鮮を以て純乎たる我藩屏と信じ、其政治家は一に我に負かざる者と信ず、また前途の憂患を慮らず。然れども知らず耶、吾人の深憂大患は實に朝鮮より來らんとするを。吾人が朝鮮を得たるは、實に蝮蛇の卵を懷中に抱きたるもの也。
師を朝鮮に出して清國と爭ふは、獨り明治の國民が企畫したる事のみにあらず、天智天皇が百濟を助け、唐軍と戰つて、白村江に敗北したる以來、國民が一日も忘るゝ能はざりし一大目的也。一千二百年の雄志初めて酬ゆるの日に方つて、我國民が歡呼、欣舞するものまた偶然にあらず。唯だそれ情炎、燃るの日も、吾人は冷頭靜思せざるべからず。所謂る朝鮮に於ける吾人の勝利なるものは、唯だ清國に對する勝利、武力の勝利のみ。朝鮮は依然たる獨立國にして、其の自主自由の權あるや、前日と一毫の差なきを記臆せざるべからず。吾人は朝鮮に於ける『勢力』を得たるのみ、未だ朝鮮を我屬國としたるものにあらず。若し或は已に勢力を得たるが爲に、朝鮮は、凡べての事に於て、我が思ふが如く成るべしと爲さば、是れ妄信の甚しきもの也。若し一個、列國權力の平衡を知り、列國嫉妬の情僞を知り、空拳を揮つて列國を掌上に弄せんとするマキヤベーリ的の政治家あらば、吾人の懷中にある蝮蛇の卵は、一夜に蜉生して腹心の病となるに至らん。而して最も能く此中の消息を知るものありとせば、朝鮮の政治家之を知らん。吾人は『朝鮮服從』の虚榮に眩惑して此の深憂大患に目を閉づる能はざる也。
盖し、天智、秀吉時代にありては、朝鮮に於ける吾人の敵手は、唯だ一、支那あるのみ。支那勢力を一掃せば即ち足る。必しも、其他を憂へざりし也。今や然らず。歐洲列國は猶ほ比隣の如し。吾人が朝鮮に於て爭ふ所は、獨り支那の勢力に止らず。吾人は病根を一掃するにあらざれば、終始、列國の勢力と相競爭するの位置に立つを忘るべからず。而して、今囘の大勝利なるものは、朝鮮に於ける支那の勢力を一掃したるのみ。苟も、他の勢力の存ずる以上は、朝鮮が獨立の名實を有する以上は、他の勢力が活動すべき機會ある以上は、第二の支那を、朝鮮に生ずるは到底、避くべからざる事たるを覺悟せざるべからず。知らず誰か是れ第二の支那たる者ぞ。
朝鮮に於ける第二の支那たる者の誰たるに係らず、列國の進んで乘ずるのみにあらず、朝鮮政治家は、何時にても門を開きて之を歡迎するの性情を有するものなるを忘るべからず。人或は閔泳駿等が支那の勢力に阿附したるを責めて、兇逆と爲すと雖も、事大主義は其國民の性情なるを奈何せん。支那黨より見れば、金朴の徒もまた閔の徒に異ならざる也。人或は大院君が平壤の大戰中に際して、私かに清…

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