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大橋須磨子
おおはしすまこ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 近代美人伝 (上)」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日
初出「婦人画報」1920(大正9)年12月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-05-17 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 霜月はじめの、朝の日影がほがらかにさしている。澄みきった、落附いた色彩と香があたりに漂い流れている。
 朝雨にあらわれたあとの、すがすがしい空には、パチパチと弾ける音がして、明治神宮奉祝の花火があがっている。小禽が枝から飛立つ羽ぶきに、ふち紅の、淡い山茶花が散った。
 今日中にはどうしても書いてしまわなければならないと思いながら、目のまえの一本か二本の草木をながめ、引窓からながめるような空の一小部分を眺めて、ぼんやりとしている。
 けれど、秋の香は、いつまでわたしをそのままにしておかなかった。菊のかおりが、ふと心をひくと、頭の底の方で鼓の音が丁と響ききこえた。爽かに冴えた音は、しんと頭を澄ませてくれた。それにつれて清朗な笛の音も聞える。そして、湿やかに、なつかしみのある三味線の音もあった。

 ごしゃごしゃと、乱れた想で一ぱいだったと思った頭のなかは、案外からっぽだったと見えて、わたしは何時かよい気持ちになって、ある年のある秋の日に、あの広々した紅葉館の大広間にいて、向うの二階の方から聞えてくるものの音に、しんみりと聞き耽けっていたのが、いま目前に浮びあがって、その音曲の色調を楽しみ繰出している――

 ――ななつになる子が、いたいけなこと言た。とのごほしと唄とうた……
 上方唄の台広の駒にかかる絃は、重くしっとりと響いた。こい毛を、まっくろな艶に、荒歯の毛すじあとをつけた、ほどのいい丸髷に結って、向うむきに坐って三味線をひいている人がある。すこしはなれたところに、色白な毛の薄い老女が、渋い着ものをきて、半分は後見役で、半分は拝見の心持ちで、坐っている。もう一人大柄な、顔もおおきい、年もかなりまさっている老女が、頭のまん中へちいさな簪巻きを(糸巻きという結びかたかも知れない)つけて、細い白葛引きをぴんと結んで、しゃんとした腰附きではあるが、帯をゆるくしめて、舞扇をもって立っている。
 その傍に、小腰をかがめて媼の小舞を舞うているのは、冴々した眼の、白い顔がすこし赤らみを含んで、汗ばんだ耳もとから頬へ、頬から頸の、あるかなきかのおしろいのなまめき――しっとりとした濡れの色の鬢つき、銀杏がえしに、大島の荒い一つ着に黒繻子の片側を前に見せて、すこしも綺羅びやかには見せねど、ありふれた好みとは異っている女が、芸にうちこんだ生々しさで、立った老女の方へ眼をくばっている――
  ――さてもさても和ごりょは、誰人の子なれば、定家かつらを――
 京舞井上流では、この老女ものの小舞は許しものなので、人の来ない表広間の二階の、奥まった部屋にこの四人は集っている。薄暗いほど欄間の深い、左甚五郎の作だという木彫のある書院窓のある、畳廊下のへだての、是真の描いた紅葉の襖をぴったり閉めて、ほかの座敷の、鼓や、笛の音に、消されるほど忍びやかに稽古をつけている。
 立っている、糸巻きに髷…

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