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竹本綾之助
たけもとあやのすけ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 近代美人伝 (上)」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日
初出「婦人画報」1918(大正7)年4月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-05-09 / 2014-09-21
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 泰平三百年の徳川幕府の時代ほど、義理人情というものを道徳の第一においたことはない。忠の一字をおいては何事にも義理で処決した。武家にあっては武士道の義理、市井の人には世間の義理である。義理のためには親子の間の愛情も、恋人同士の迸しるような愛の奔流も抑圧してきた時代である。その人情の極致と破綻と、抑えつけられた胸の炎と、機微な、人間の道の錯誤を語りだしたのが義太夫節で、義太夫節は徳川時代でなければ、産れないもので他の時には出来ないものだ。というのは、武士道からきた道徳と、儒教からきた道徳と、東洋の宗教が教えた輪廻説の諦めとが、一つの纏められた思想が、その語りものの経の太い線になっている。その上に、義太夫節の生れた徳川氏の政府の最初に近い年代は、一面に長らく続いた戦国の殺伐で豪放な影がありながら、一面には世の中が何時も春の花の咲いているような、黄金が途上にもざくざく零れていれば、掘井戸のなかからも湧いて出るといったような、豪華な放縦な、人心の頽廃しかけた影も射しそめていた。その上に人斬り刀を横たえて武士は市民の上に立ち、金はあっても町人は、おなじ大空の月さえ遠慮して見なくてはならないほど頭があがらなかった。その時勢に、新江戸の土くさい田舎もののずぶとさと反撥力をもった、新開の土地などでは見られない現象を、古い伝統をもつ大都会、浪花の大阪の土地に見たのは当然の事であったろう。
 経済都市大阪のぼんちは、酒と女の巷へ、やりどころのない我儘と、頭の廻らしようのない鬱憤を、放埒な心に育てて派手な場処へと、豪華を競いにいったが、家にかえれば道徳の人情責めと、いわゆる世間の義理とが、小むずかしく、光った頭のちょん髷と、背中を丸くして目を摺り赤めた老婆の涙が代表して待構えていた。そしてぼんちは強い刺戟に爛れた魂を、柔かい女の胸の中に、墓場に探ねあてて死んでいった。
 そうした義理人情の葛藤と、武家の義理立ての悲劇を語りものにしたのが義太夫である。であるから、節であり、絃奏をもったものでありながら、義太夫は他の歌とはちがって唄うものではない、語りものである。現われる人物の個性を、苦悩を語り訴えるのである。
 竹本義太夫がその浄瑠璃節の創造主であるゆえに義太夫と唱え世に広まった。またその当時人形操りには辰松八郎兵衛、吉田三郎兵衛などが盛名を博し、不世出の大文豪、我国の沙翁と呼ばれる近松門左衛門が、作者として名作を惜気もなく与え、義太夫に語らせ、人形操りの舞台にかけさせた。そして近松翁が取りあつかった取材は、その多くを当時の市井の出来ごとから受入れている。そうして義太夫節は大阪に生れ、大阪に成長し、語る人も阪地の生れを本場とし、修業もその土地を本磨きとするのである。
 わが竹本綾之助、その女もその約束をもって、しかも天才麒麟児として、その上に美貌をもって生れた。私は綾之助を幸福者だ…

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