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豊竹呂昇
とよたけろしょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 近代美人伝 (上)」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日
初出「婦人画報」1919(大正8)年3月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-05-12 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は今朝の目覚めに戸の透間からさす朝の光りを眺めて、早く鶯が夢をゆすりに訪れて来てくれるようになればよいと春暁の心地よさを思った。如月は名ばかりで霜柱は心まで氷らせるように土をもちあげ、軒端に釣った栗山桶からは冷たそうな氷柱がさがっている。崖の篠笹にからむ草の赤い実をあさりながら小禽は囀っている。
 寒明けの日和はおだやかで、老人たちが恋しがるばかりではない日の光りはのどかだ。
(ほんとに早く鶯の声を聴くようになるといいな)
 あの寝ざめの、麗音をなつかしみながら私は呟やいた。町中に生れ育った私は、籠に飼われない小禽が、障子のそとへ親しんで来てきかせてくれる唄声を、どれほどよろこんでいたかしれない。真冬の二月は頬白も目白も来てくれないので、朝はいつもかわらない雀の挨拶と、夜は時おり二つ池へおりる、雁のさびしい声をきくばかりだった。
 去春は毎朝窓ちかくへ来て鳴いてくれたあの声、鶯は日中は遠く近くをゆきかえりして円転と嬌音をまろばした。あの友だちが一日もはやく来てくれるといいと思いながら、夜具の襟裏ふかく埋もれて、あれやこれやはてしなくする想像は、私にとっては一日中の楽境であり、愉快な空想の天国でもあり、起出してしまえば何にも貧しく乏しい身に、恵まれた理想郷でもある。
 私はふと、曩日、初代綾之助の語るのを、ゆくりなく聴く機会のあったことを思いだした。寒い寒い晩に、寒風に吹かれながら久しぶりで見聞きする興味にひかれて、寒さに顫えながら煙草のけむりと群衆のうごめくなかに隅の方へ坐った。騒然たる四辺を見ると、決して驕った心からではないが、あんまり群集の粗野なのに驚かされた。楽声を聴いて心を悦ばせるには、上品でなくてはならないというのではないが、いかにも穢苦しい感じを与えられた。下卑ていたこともいなまれなかった。
 古い流行のひとつとして、以前女義太夫――ことに綾之助の若盛りにはドウスル連というものの盛んであったことをきいた。しかもその多くは年少気鋭の学生連であったそうで、いまそうした年頃の、青春の人は多く浅草の歌劇団にと行き、高級の人は音楽会を待ちかねて争ってゆくようである。その夜も、青年は一人も見受けなかったといってよいほどであった。時代がそうなったのかも知れないが、義太夫を聴く人が中年以上のものに限られて来たようになったというのも詭弁ではないと思った。無理な道徳や、不条理な義理を、苦しい人情としていた時代は過ぎつつあるのであった。そしてまた語りものの一段のうちには、たしかに好い個所がありながら、何とやら取ってつけたような継目が多くあるのを感覚の鋭い近代人は同感しなくなったのではなかろうか。女義太夫の衰退とばかりは見られないのではなかろうかと思われた。とはいえ、綾之助の技芸はそれらの聴衆をすこしの間に引緊めてしまった。座席もないほどにつまって、ごうごうとしてい…

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