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インドラの網
インドラのあみ
作品ID460
著者宮沢 賢治
文字遣い新字新仮名
底本 「インドラの網」 角川文庫、角川書店
1996(平成8)年4月25日
入力者浜野智
校正者浜野智
公開 / 更新1999-01-31 / 2014-09-17
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 そのとき私は大へんひどく疲れていてたしか風と草穂との底に倒れていたのだとおもいます。
 その秋風の昏倒の中で私は私の錫いろの影法師にずいぶん馬鹿ていねいな別れの挨拶をやっていました。
 そしてただひとり暗いこけももの敷物を踏んでツェラ高原をあるいて行きました。
 こけももには赤い実もついていたのです。
 白いそらが高原の上いっぱいに張って高陵産の磁器よりもっと冷たく白いのでした。
 稀薄な空気がみんみん鳴っていましたがそれは多分は白磁器の雲の向うをさびしく渡った日輪がもう高原の西を劃る黒い尖々の山稜の向うに落ちて薄明が来たためにそんなに軋んでいたのだろうとおもいます。
 私は魚のようにあえぎながら何べんもあたりを見まわしました。
 ただ一かけの鳥も居ず、どこにもやさしい獣のかすかなけはいさえなかったのです。
(私は全体何をたずねてこんな気圏の上の方、きんきん痛む空気の中をあるいているのか。)
 私はひとりで自分にたずねました。
 こけももがいつかなくなって地面は乾いた灰いろの苔で覆われところどころには赤い苔の花もさいていました。けれどもそれはいよいよつめたい高原の悲痛を増すばかりでした。
 そしていつか薄明は黄昏に入りかわられ、苔の花も赤ぐろく見え西の山稜の上のそらばかりかすかに黄いろに濁りました。
 そのとき私ははるかの向うにまっ白な湖を見たのです。
(水ではないぞ、また曹達や何かの結晶だぞ。いまのうちひどく悦んで欺されたとき力を落しちゃいかないぞ。)私は自分で自分に言いました。
 それでもやっぱり私は急ぎました。
 湖はだんだん近く光ってきました。間もなく私はまっ白な石英の砂とその向うに音なく湛えるほんとうの水とを見ました。
 砂がきしきし鳴りました。私はそれを一つまみとって空の微光にしらべました。すきとおる複六方錐の粒だったのです。
(石英安山岩か流紋岩から来た。)
 私はつぶやくようにまた考えるようにしながら水際に立ちました。
(こいつは過冷却の水だ。氷相当官なのだ。)私はも一度こころの中でつぶやきました。
 全く私のてのひらは水の中で青じろく燐光を出していました。
 あたりが俄にきいんとなり、
(風だよ、草の穂だよ。ごうごうごうごう。)こんな語が私の頭の中で鳴りました。まっくらでした。まっくらで少しうす赤かったのです。
 私はまた眼を開きました。
 いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵に灼きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶずつ数えられたのです。
 またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手…

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