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美的生活を論ず
びてきせいかつをろんず
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本現代文學全集8 齋藤緑雨・石橋忍月・高山樗牛・内田魯庵集」 講談社
1967(昭和42)年11月19日
入力者三州生桑
校正者小林繁雄、しだひろし
公開 / 更新2002-11-02 / 2014-09-17
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一 序言

 古の人曰へらく、人は神と財とに兼ね事ふること能はず。されば生命の爲に何を食ひ、何を飮み、また身體の爲に何を衣むと思ひ勞らふ勿れ。生命は糧よりも優り、身體は衣よりも優りたるものならずやと。人若し吾人の言をなすに先だちて、美的生活とは何ぞやと問はば、吾人答へて曰はむ、糧と衣よりも優りたる生命と身體とに事ふもの是れ也と。

     二 道徳的判斷の價値

 夫れ道徳は至善を豫想す。至善とは、人間行爲の最高目的として吾人の理想せる觀念なり。是の至善の實現に裨益する所の行爲、是を善と謂ひ、妨害する所の行爲、是を惡と謂ふ。至善其物の内容如何は、學者によりて必ずしも説を同うせずと雖も、道徳の判斷が、是の地盤の上に立てるの一事は、古今を通じて渝らず。されば凡百の道徳は、其の成立の上に於て、少くとも兩樣の要件を具足するを必とすと見るを得む。兩樣の要件とは何ぞ。一に曰く、至善の意識也。二に曰く、是の意識に遵ふて外に現はれたる行爲の能く其の目的に協へる事也。至善に盡すの意ありて而かも其の行ひ是れに伴はざらむ乎、若しくは其の行ひ能く善に協ひて而かも善を爲すの心なからむ乎、道徳上の價値は共に全きを稱すべからざらむ。
 是の如く詮議し來れば、吾人は茲に一疑惑に逢着せざるを得ざる也。例へば古の忠臣義士の君國に殉せるもの、孝子節婦の親夫に盡せるもの、彼等は其の君國に殉し、親夫に盡すに當りて、果して所謂る至善の觀念を有せし乎、有して而して是に準據したりし乎。換言すれば、君國の爲にするは彼等の理想にして、而して死は是れに對するの手段なりと考へし乎。親夫の爲にするは彼等の至善にして、而して是れに盡すは彼等の本務なりと思ひし乎。若しくは、君國親夫と謂ふが如き具體的觀念の外に、忠義孝貞と謂ふが如き抽象的道義を認めて、是を奉體せりと見るべき乎。若し是の如く解釋する能はずとせば、忠義と云ひ、孝貞と云ふもの、道徳上の價値に於て言ふに足らざるものならむのみ。
 而して吾人は是の如く解釋するを欲せざるもの也。楠公の湊川に討死せる時、何ぞ至善の觀念あらむ、何ぞ其の心事に目的と手段との別あらむ、唯[#挿絵]君王一旦の知遇に感激して、微臣百年の身命を抛ちしのみ。是の如くにして死せるは、楠公にとりて至高の滿足なりし也。而して是の滿足を語り得むものは、倫理學説に非ずして楠公自らの心事ならむのみ。菅公の配居に御衣を拜せし時、何ぞ至善の觀念あらむ、何ぞ君恩を感謝するを以て臣下の義務なりと思はむや。畢竟菅公の本心は、唯[#挿絵]是の如くにして滿足せられ得べかりしのみ。拘々たる理義、如何ぞ菅公が是の本心を説明し得べき。戰國の武士は吾人に幾多の美譚を遺したり。然れども或は勇士意氣に感じては輙ち身を以て相許るし、或は受くる所は※[#非0213外字:「厂+菫」、ただし「菫」は第3水準1-92-16のつくりの…

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