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復活祭
ふっかつさい
作品ID46082
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅱ」 三一書房
1970(昭和45)年1月31日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-09-18 / 2019-09-14
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 二時半に食堂部が終ると、外套置場と交換台に当番をおいてレジスターやルーム・メイドが食事に行く。客室から信号も鳴らず帳場へくる客もなく、ラウンジに外来が二三人残るほか、四時ぐらいまでのあいだ社交部といっているあたりがひっそりする。
 八時から昼食までの伝票を分けて室別になった整理棚へほうりこむと、鶴代の今日のおつとめはおしまいになった。電車でフラットへ寝に帰る気もしない。脇間の籐椅子でひととき頭を霞ませていると、川田がふらりとフロントへ入ってきた。
 なにがあるのか、きょうはめずらしくきちんとドレスアップしている。アメリカの西部ではこれが夜会服になっているというグレイのジャケットにタキシード用のトルウザァスの組合せで、襟に黄色いミモザの花をつけている。
「いらっしゃいぐらいいわないのかい」
「いらっしゃい」
「おかしなところに坐りこんでいるよ。ラウンジへでも行こうか」
「ここでいいじゃありませんか。どこだっておなじよ」
「タバコを買い忘れた。ひとつわけてもらおうかな」
「そのへんにこないだのアーケディアが残っているはずよ」
「そのへんって、どのへんだ。まあすこし立ちなさい」
「デスクの抽斗しだったかな。おぼえていないわ。じぶんが吸うものならじぶんでさがせばいいでしょう」
「これア神経衰弱だよ。君のマザアも動きたがらなかったが、こんなではなかった」
 川田は帳場へ入ってアーケディアの罐を探してくると、となりの椅子に掛けて。パイプをふかしはじめた。
 年のせいで咽喉の皮膚がたるみ、酒焼けなのか潮焼けなのか、首が蘇芳でも塗ったように赤いので、そのへんが七面鳥の喉袋みたいにみえる。ごつい折襟の作業服を着て、赤と白の水先旗をたてた港務部のボイラーの舳に立ち、頭から潮がえしを浴びながら沖へ出て行くときの川田は簡単明瞭ないいおやじだが、きちんとドレスアップしたりすると、バクチウチのやくざな調子がでて、べつな感じの人間になってしまう。
「今日は三交替だから身体があいたんだね」
「そう。これから寝に帰るところ」
「こんないい陽気にフラットへ寝に帰る。そうくすんでいちゃしょうがないな。洒落れたフロックでも着てアメリカン・クラブへおしだすような相手はいないのかね。鶏の羽根をむしって歩かせたような、あのキョトンとしたいい男はどうした」
「どうしたかしら。知らないわ」
「ユウのマザアも惚れるってことをしないひとだった。古代雛みたいな立派な顔で、真面目すぎるもんだからまわりが気苦労だった。ユウがまたそうだ。顔も気性も、よくもまあ似たもんだと感心することがあるよ」
「母に似たいと思ったこともないけど。しょうがないでしょう、あたしってこんな娘なんだから」
「それはそうだが」
「西洋のえらいひとがいってるわ。恋愛だの、野心だの、そんなものは精力をすりへらして命をちぢめるから、長生きをし…

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