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壱岐国勝本にて
いきのくにかつもとにて
作品ID4609
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店
1977(昭和52)年1月31日
入力者林幸雄
校正者伊藤時也
公開 / 更新2004-05-25 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 地圖を見ても直ぐ分る。對州は大きな蜈[#挿絵]が穴から出かけたやうでもあるし又やどかりが體を突出したやうでもあつて、山許りだから丁度毛だらけのやうに見える。それが壹州になると靜かな水の上に溶けた蝋がぽつちりと落ちたやうな形である。さうしてさう高い山がないから地圖で見ても滑か相である。それが一昨日と昨日と空氣が冴えたので、それでなくても景色のいゝ海岸が如何にも爽快であつた。壹州に只一つ温泉場があるが入江になつて居てあたりを鯨伏村といふ。鯨伏はイサフシである。殊に昨日は一番南の郷の浦へ行つて少し高い處へ登つたら肥前の平戸から五島の一部まで見えた。そこには土地の商人らしい人々が六七人で居たが五島あたりの見えるといふことは容易に無いんだ相で其内の何人かは始めて見たと言つて居た。そこらには松があつて土は短い青芝で掩はれて居る。青芝は延びれば皆牛が[#挿絵]つて了ふから何時でも綺麗なのである。牛は到る處に居る。小徑を行くと時としては牛が横に立つて道を塞いで居る。彼等は人が行つたつてちつとも動かうとしない。しい/\と少し位言つたつて駄目である。其筈だらう。島では今漸く田植の終る處で、そつちでもこつちでも馬鹿に百姓が呶鳴つて居る處があるが、それは屹度牛に田を掻かせて居るのだ。此島の樹木は可成多くてさうして翠が深い。其間にそれは山の上の方までさうなんだが淡い緑が交つて居るのは皆大豆畑である。
 大豆は大分よく出來るとかで畑といへば九分まで大豆ばかりである。涼しい風が大豆の葉を渡つて吹く夕方に牛は依然のつそりとして草をむしつて居ることがある。畑と畑との間に茨に交た芒をむしつて居るから牛は大豆の葉はたべないのかと思つたら、牛によつて好きなのと嫌ひなのとがあるんだと言つた。牛の立つてる處には地を堰つて茨が白い花を開いて居る。赤い苺がびつしり實つて居る。苺は大分たべた。夫に到る處山桃がある。時々腕白も木になつてる事がある。何處であつたか熊野あたりの神社の謠であつたが
山を通れば山桃欲しや、身をも投げかけてゆすらば落ちよ、さてもつれなの山桃や
 といふのがあつた。記憶の誤りはあると思ふが何でもこんなのであつた。山桃は幾年か前からどんなのかと思つて心にかけて居たが博多で始めてたべて、此處でなつてる處を見た。こゝでは一合が一錢だ相だ。
 今日元寇の難に殉じた少貳資時の墳墓のある瀬戸といふ處へ行つて見た。料理店は無いから木賃宿で飯を食つた。有合の飯は麥八分に米二分であつた。子鯖が三疋、それと朝干した許りだといふ烏賊を燒いてくれた。これは甘かつた。それから五つも燒いて貰つた。それで幾らだと言つたら六錢くれと言つた。生來始めてこんな廉い勘定を拂つて見た。島の人間は言葉の丁寧なには驚く。
 壹州と言つて一國だが北の勝本から南の郷の浦まで僅に四里、馬車は八臺あるが人力車は郷の浦に四臺きりださうだ。…

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