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顎十郎捕物帳
あごじゅうろうとりものちょう
作品ID46122
副題06 三人目
06 さんにんめ
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅳ」 三一書房
1970(昭和45)年3月31日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-01-07 / 2014-09-21
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   左きき

「こりゃ、ご書見のところを……」
「ふむ」
 書見台から顔をあげると、蒼みわたった、鬢の毛のうすい、鋭い顔をゆっくりとそちらへ向け、
「おお、千太か。……そんなところで及び腰をしていねえで、こっちへ入って坐れ」
「お邪魔では……」
「なアに、暇ッつぶしの青表紙、どうせ、身につくはずがない。……ちょうど、相手ほしやのところだった」
「じゃア、ごめんこうむって……」
 羽織の裾をはね、でっぷりと肥った身体をゆるがせながら、まっこうに坐ると、
「御閑暇なようすで、結構でございます」
 こちらは、えがらっぽく笑って、
「おいおい、そんな挨拶はあるめえ。……雨が降りゃア、下駄屋は、いいお天気という。……おれらは忙しくなくっちゃ結構とは言わねえ」
「えへへ、ごもっとも。……どうも、この節のようじゃ、ちと、骨ばなれがいたしそうで……」
「これ見や、捕物同心が、やしきで菜根譚を読んでいる。……暇だの」
 引きむすぶと、隠れてしまいそうな薄い唇を歪めて、陰気に、ふ、ふ、ふと笑うと、書見台を押しやり、手を鳴らして酒を命じ、
「やしきでお前と飲むのも、ずいぶんと久しい。……まア、今日はゆっくりしてゆけ」
 一年中機嫌のいい日はないという藤波、どういうものか今日はたいへんな上機嫌。せんぶりの千太は呆気にとられて、気味悪そうにもじもじと揉手をしながら、
「えへへ、こりゃ、どうも……」
 といって、なにを思い出したか、膝をうって、
「ときに、旦那。……清元千賀春が死にましたね」
「ほほう、そりゃア、いつのこった」
「わかったのは、つい、二刻ほど前のことでございます。……ちょうど通りすがりに、露路口で騒いでいますから、あっしも、ちょっと寄ってのぞいてまいりました」
「そう、たやすくはごねそうもねえ後生の悪いやつだったが……」
「長火鉢のそばで、独酌かなんかやっているうちに、ぽっくりいっちまったらしいんでございます。……なにか弾きかけていたと見えて、三味線を膝へひきつけ、手にこう撥を持ったまま、長火鉢にもたれて、それこそ、眠るように死んでいました」
「ふうん……医者の診断は、なんだというんだ」
「まア、卒中か、早打肩。……あの通りの大酒くらいですから、さもありそうな往生。……あッという間もなく、自分でも気のつかねえうちに死んじまったろうてんです。だれか、早く気がついて、肩でも切って瀉血させてやったら助からねえこともなかったろうにと医者が言っていましたが、なにしろ、運悪くひとりだから、そういう段取りにはならねえ。……そんな羽目になるというのも、これも身の因果。ふだんの悪業のむくいでね、よくしたもんです」
「医者は、早打肩だと言ったか」
「へえ。……なるほど、そう言われて見れば、顔も身体も、ぽっと桜色をしておりましてね。とんと死んでいるようには見えません」
「そういうことは、あ…

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