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顎十郎捕物帳
あごじゅうろうとりものちょう
作品ID46125
副題09 丹頂の鶴
09 たんちょうのつる
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅳ」 三一書房
1970(昭和45)年3月31日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-01-10 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   二の字の傷

 恒例の鶴御成は、いよいよ明日にせまったので、月番、北町奉行永井播磨守が、城内西の溜で南町奉行池田甲斐守と道中警備の打ちあわせをしているところへ、
「阿部さまが、至急のお召し」
 と、お茶坊主が迎えに来た。
 鶴御成というのは、十月の隅田川、浜御殿の雁御成、駒場野の鶉御成、四月の千住三河島の雉御成とともに将軍鷹狩のひとつで、そのうちにも鶴御成はもっとも厳重なものとされていた。
 九代将軍が鷹狩でえた鶴を朝廷に献上して御嘉納をうけてから、爾来、年中の重い儀式となり、旧暦十一月下旬から十二月上旬までの、寒の入りの一日をえらんで、鶴御飼場の千住小松川すじでおこなわれたもので、最初にとらえた鶴は、将軍の御前で鷹匠頭が左の脇腹を切り、臓腑を出して鷹にあたえ、あとに塩をつめて創口を縫いあわせ、その場から昼夜兼行で京都へ奉る。街道すじでは、これを、『お鶴さまのお通り』といった。
 その後にとらえた鶴の肉は、塩蔵して新年三ガ日の朝供御の鶴の御吸物になるので、当日、鶴をとらえた鷹匠には、金五両、鷹をおさえたものには金三両のご褒美。鶴をとらえた鷹はその功によって紫の総をつけて隠居させる規定。なお、当日、午餐には菰樽二挺の鏡をひらき、日ごろ功労のあった重臣に鶴の血をしぼりこんだ『鶴酒』を賜わるのが例になっていた。
 文化のはじめごろまでは、鶴御飼場は、千住の三河島、小松川すじ、品川目黒すじの三カ所にあったもので、いずれも四方にひろい濠をめぐらして隣接地と隔離させ、代地と陸地との交通は、御飼場舟という特別の小舟で時刻をさだめて行うなど、なかなか厳重をきわめたものであった。嘉永のころになって、多少ゆるやかになったが、それでも、このころもまだ、御飼場の鶴を殺したものは死罪、傷つけたものは遠島に処せられる。
 御飼場には、だいたい、おのおの十五カ所の代(季節によって鶴が集まる場所)があって、鳥見役という専任の役人が代地を管理し、六人の網差と下飼人が常住にそこにつめていて、毎日三度ずつ精米五合をまき、代地におりてきた鶴をならす。
 飼いならすのにいろいろな方法があるが、鶴がひとを見ても恐れぬようになると、鷹匠が飼場を検分したのち、そのむねを若年寄に上申する。若年寄と老中が相より協議の上、鶴御成の日時をさだめて将軍に言上するのである。
 永井播磨守と池田甲斐守が、大廊下を通って柳営の間へ行くと、老中阿部伊勢守は待ちかねていたようにさしまねき、寛濶に顔をほころばせながら、
「いつもながら、お役目大儀。国をあげて外事に没頭し、たれもかれも、派手派手しく立働いているが、眼に見えぬ御両所の秘潜のお骨折があればこそ、ゆるぎなく御府内の安寧がたもっておる。まずまず、お礼の言葉もない。……ところで、明日はいよいよ鶴御成。国事多端のおりからにも古例を渝えたまわず、民情洞察の意をもって鷹野…

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