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顎十郎捕物帳
あごじゅうろうとりものちょう
作品ID46126
副題10 野伏大名
10 のぶせりだいみょう
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅳ」 三一書房
1970(昭和45)年3月31日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-01-10 / 2023-08-24
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   客の名札

 勝色定紋つきの羽二重の小袖に、茶棒縞の仙台平の袴を折目高につけ、金無垢の縁頭に秋草を毛彫りした見事な脇差を手挾んでいる。どう安くふんでも、大身の家老かお側役といったところ。
 五十五六の篤実な顔立ち。なにか心配ごとがあると見えて白い鬢のあたりをそそけさせ、いやな色に顔を沈ませている。重厚に、膝に手をおいて、
「実は……」
 と、口をきると、深く面をうつむけ、
「なんとも、たいへん非常なことで、なにから申しあげてよろしいやら……」
 肩で大息をつきながら、また、がっくりと首をたれてしまう。なんともどうも、はかばかしくない。むきあって坐っているのが、北町奉行所のけちな帳面繰り。例の、顎十郎こと、仙波阿古十郎。
 一枚看板の黒羽二重の古袷の裾前から、ニュッと膝小僧をのぞかせ、長生の冬瓜のようなボッテリとした馬鹿べらぼうな大きな顎のさきを撫でながら、ははあ、とかなんとか、のんびりと合槌をうっている。
 気の長いことにかけたら、誰にもひけはとらない。まして、顎十郎を動じさせるものなどは、なにひとつこの世に存在しない。相手の溜息も沈んだ顔色も、てんで目に入らないように、天井を眺めながら、茫々乎としてひかえている。相手がきりだすまで、十年でも二十年でもゆっくり待つ気と見える。
 客は、沈思逡巡、思いきり悪くしぶっていたが、いよいよ、のっぴきならなくなったのか、あらためて慇懃に一礼すると、
「今日、突然に推参いたしましたのは、実は折入ってお願い申しあげたい儀がございまして……」
 顎十郎は、ほほう、と曖昧な音響を発してから、
「それは、いったい、どのようなことで……。と言ったって、別にお急かせ申すわけではありません。次第によっては、明日、明後日。……あるいは、ことしの大晦日の夕方まででもおつきあいいたしますが、なにしろ手前は奉行所の例繰方。古い判例をひっくり返すよりほか、いっこうに能のない男。おまけに剣術のほうはからっきしいけませんから、仇討ちの助太刀なんぞは、とてもつとまらない」
「いや、さような次第では……」
 顎十郎は、ひとり合点して、
「おお、そうですか。すると、つまり、あなたにお娘御が大勢あって、どうにもやり場に困るから、こんな大べらぼうな奴だが、ひとりくれてやろうなんてえおつもりなのだと思いますが、なにしろ、ひとりの口だけでもかッつかッつ。頂戴しても食べさせることが出来ません。思召しは千万かたじけのうございますが、平に御辞退……」
 客は、へどもどして、
「いや、いや、決してそういう次第ではございません。つづめて申そうなら、主家の浮沈にもかかわる一大事……」
 顎十郎は頭をかかえて、
「そりゃア大変だ。そんな大事では、とても手前などの手にはあいかねましょう。なにしろ……」
 と、またぺらぺらと来そうなので、客はあわてて、しばらくしばらくと喰い…

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