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芋掘り
いもほり
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店
1977(昭和52)年1月31日
初出「ホトトギス」1908(明治41)年3月1日第11巻第6号
入力者林幸雄
校正者伊藤時也
公開 / 更新2003-11-19 / 2014-09-18
長さの目安約 49 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         一

 小春の日光は岡の畑一杯に射しかけて居る。岡は田と櫟林と鬼怒川の土手とで圍まれて他の一方は村から村へ通ふ街道へおりる。田は岡に添うて狹く連つて居る。田甫を越して竹藪交りの村の林が田に添うて延びて居る。竹藪の間から草家がぽつ/\と隱見する。箒草を中途から伐り放したやうに枝を擴げた欅の木がそこにもこゝにもすく/\と突つ立つて居る。田にはもう掛稻は稀で稻を掛けた竹の「オダ」がまだ外されずに立つて居る。「オダ」には黄昏に鴫でも來て止る位のことだらう、見るから淋しげである。鬼怒川の土手には篠が一杯に繁つて居るので近くの水は其蔭に隱れて見えぬ。のぼる白帆は篠の梢に半分だけ見えて然かも大きい。土手の篠を越えて水がしら/\と見えるあたりはもう遙の上流である。だから篠の梢を離れて高瀬船の全形が見える頃は白帆は遙かに小さく蹙まつて居る。土手の篠の上には對岸の松林が連つて見える。更に其上には筑波山が一脚を張つて他の一脚を上流まで延ばして聳えて居る。小春の筑波山は常磐木の部分を除いては赭く焦げたやうである。其赭い頂上に點を打つたやうに觀測所の建物がぽつちりと白く見える。稍不透明な空氣は尚針の尖でつゝくやうに其白い一點を際立つて眼に映ぜしめる。櫟の林は此の狹く連つて居る田と鬼怒川との間をつないで横につゞいて居る。田も遙かのさきは櫟林に隱れて、鬼怒川も上流はいつか櫟林に見えなくなる。櫟の木はびつしりと赭い葉がくつゝいて居る。岡の畑は向へいくらか傾斜をなして居るので中央に立つて見ると櫟の林は半隱れて低い土手のやうに連つて見える。林の上には兩毛の山々が雪を戴いてそれがぼんやりと白い。此の如き周圍を有して岡の畑は朗かに晴れて居るのである。土は乾き切つて既に二三寸に延びた麥は岡一杯に薄く緑青を塗つたやうである。そこにもこゝにも百姓が小さく動いて居る。麥をうなつて居るものもあるが大抵は芋掘りの人々である。四五人の手で芋を掘つて居る畑の縁には馬が茶の木に繋いであつて俵が轉がつて居る。此俵があれば遠くからでも芋掘りの人々であることが解る。馬は退屈まぎれに茶の木をむしることがある。其時一人が駈けて來て轡をがちんと一つ極めつけて叱り飛ばせば復たおとなしくなつてぱさり/\と尾を動かして居るのである。各自の手もとは忙しい。然し岡は只長閑なさまである。日は稍傾いた。忽然筑波山の絶頂から眩い光がきら/\と射して來た。毎日同一の時刻に此の光は此岡へ強く射しかけて來る。百姓の或者は筑波山で火を燃やすのだらうなどといつて居る。然しそれは觀測所のガラス窓が日光を反射するのである。岡の畑に變化が起つたとすれば數時間に只此丈である。ガラス窓の反射はやがて消えてしまつた。芋掘りの人々は勿論此の光は知らなかつた。兩毛の山々がぼんやりした日は西風が吹かないので隨て暖かい。暖かい日は土いぢりの芋掘りには此の…

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