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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
副題80 田村松魚の言葉
80 たむらしょうぎょのことば
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者しだひろし
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-16 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




(この「光雲翁昔ばなし」は大正十一年十一月十九日(日曜日)の夜から始め出し、爾来毎日曜の夜ごとに続き、今日に及んでいる。先生のお話を聴いているものは高村光太郎氏と私との両人限りで静かな空気をこわすといけない故、絶対に他の人を立ち入らせなかった。最初の第一回は光太郎氏宅他は今日まで先生のお宅でされつつある。私たちはかねてから、先生の昔ばなしを聴きたく希望していたので、二、三年ほど前からこの事を先生にお願いしてあったが、この頃になってやっとその時機が来たのである。先生のお話に対しては、時々私たちは質問をしたり、或る時は、話題を提出したりすることもあるけれども、多くは、先生は口述的にポツポツと話し続けられて行った。私は丹念にそれを口語のままに聞き書きして行ったのである。もっとも筆記をするためにお話を伺ったのでなく、お話を聴きたいために話して頂いたのであるが、この有益にして多趣味のお話を我々両人の記憶にはとても残らずは記憶し切れないと思ったので、失念遺漏を恐れ、私が筆まめなのに任せてすべてを聞き書きしたのである。しかし、私の最初の考えは(今もそうであるが)彫刻家としての先生の七十年の生活を詳しく知ることを希望したと同時に、もう一つ、それを現代の人々にも知らせたく、また後の世に残して置きたいと思う意味もあった。私に、そういう考えがあったために、特に聞き書きすることに丹精したのでもある。それで、後の方の意味について、先生の御意見を伺って見たら、それはあなたの御勝手だ、ということであるから、私は聞き書きをさらに清書して、それを先生に御覧に入れた。先生は、また、私の丹精をよろこび非常に丹念にそれに筆を入れて下すったのである。そうして、私はまたそれを浄書し、さらに先生に御覧に入れた。先生は、また、それを丹念に読んで、「これなら、よろしかろう」といって私にその稿本を戻して下すったのがすなわちこの本文である。ただし、先生は、私たち後進に対して、過去の記憶を、記憶のままに、不用意に思い出してはポツポツとお話しなすったのであるから、必ずしも記憶に間違いがないとはいえないと、度々私たちにお断りになったことである。よって、年月日、地名、人名、その他の事柄についての行きさつ、もしくはその他いろいろな事柄についても間違いのようなものがもしあったとして、それは、先生の記憶違いか、然らざれば私の聞き書きの誤謬である。この点は特に読者へお断りをして置きます。本篇を発表するに当って、私に責任がありますから、ここに長々しく一言申し添えて置きました。大正十一年十二月末田村松魚記)



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