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名古屋スケッチ
なごやすけっち
作品ID46165
著者小酒井 不木
文字遣い新字新仮名
底本 「心にふるさとがある18 わが町わが村(西日本)」 作品社
1998(平成10)年4月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-12-18 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 はしがき
『名古屋、おきやあせ、すかたらん』
 誰が言ひだしたか、金の鯱鉾に、先祖代々うらみを持つた人でもあるまいに、まんざら捨てたものでもない名古屋の方言から、『おきやあせ、すかたらん』を選んで、その代表的のものとするなど、まことにすかたらん御仁と申すべきである。
 だが、どうも、その方言の響がミユージカルでないことは、いくら慾目でも、認めざるを得ないところであると同時に、市街全体が、金の鯱鉾に光を奪はれたのか、何となく暗い感じのするのも争はれない真実であらう。『と同時に』を今一つ、名古屋人の心が、薄情で、我利々々だといふことも、口惜しいけれど是認しなければならぬと思ふ。おや、こんな悪口は書くつもりではなかつたのに、つい筆がすべつて……。尤も、われとわが身を悪くいふ癖も、名古屋人間の無くて七癖の一つかも知れぬ。筆者は典型的の名古屋人なのである。
『花の名古屋の碁盤割、隅に目を持つ賤が女も、柔和で華奢でしやんとして、京の田舎の中国の、にがみ甘みをこきまぜて、恋の重荷に乗せてやる伝馬町筋十八丁、其他町の数々を語り申さん聞き玉へ』
 これは宝永七年、名古屋で刊行された『今様くどき』の名古屋町尽しの冒頭だがその碁盤割も、大名古屋市となつた今は崩れて、人口八十八万は有難いけれど、日本第三の都市と威張つたならば、その都市の田圃で、盛んにメートルをあげる蛙どもから、げた/\笑はれるにちがひない。従つてその、『柔和で華奢でしやんとして』居る筈の女も、今は追々に姿をかくして、尤も、これは名古屋ばかりの現象ではないけれど、遅がけながら、モダン・ガールといふものが見られるのは御芽出度いとも申さうか、『今様くどき』の著者には、ちよつと面はゆい心地がする。
 だが、宝永と昭和の間には、大きな年月の差異がある。とは、言はずと知れたことだが、やゝもすると、昭和の名古屋に、宝永の俤が多分に残つて居るのは、あながち筆者のひが目ではないやうだ。尤も、どの都市にだつて、あの新らしさを売り物にするヤンキーたちの、礼讚措くあたはざるニユーヨークにだつて、昔の俤は残つて居るから、それは決して質の問題ではないが、今の京都よりも、却つて名古屋に昔しくさい感じの多いのはどうした訳であらうか。廬山に入つては廬山を見ず、まして、病身もので、めつたに外出しない筆者のことだから、大きなことは言へぬけれど、どうも名古屋は近代化しにくい性質らしい。
 とはいふものゝ、年々歳々、たえず変化はしつゝあるのだ。昭和三年には、昭和三年らしい色彩がある筈だ。それをスケツチして見ようといふのが、この一篇の目的だが、何しろ書斎の虫のことだから、碌な観察は出来かねる。

 広小路
 名古屋を西から東へ横断する、いはゞ銀座通りである。名古屋駅を下りてから柳橋、納屋橋を越すまでは、銀座どころか、銅座か鉛座ぐらゐの感じしかないが、一たび…

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