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二・二六事件に就て
ににろくじけんについて
作品ID46196
著者河合 栄治郎
文字遣い新字新仮名
底本 「近代の文章」 筑摩書房
1988(昭和63)年1月15日
初出「帝国大学新聞」1936(昭和11)年3月9日
入力者ゼファー生
校正者染川隆俊
公開 / 更新2006-11-12 / 2016-02-03
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 二月二十日の総選挙に於て、国民の多数が、ファッシズムへの反対と、ファッシズムに対する防波堤としての岡田内閣の擁護とを主張し、更にその意志を最も印象的に無産党の進出に於て表示したる後僅かに数日にして起こった二・二六事件は、重要の地位にある数名の人物を襲撃し、遂に政変を惹起するに至った。

       二

 先ず吾々は、〈残酷〉なる銃剣の下に仆れたる斎藤内大臣、高橋大蔵大臣、渡辺教育総監に対して、深厚なる弔意を表示すべき義務を感ずる。浜口雄幸、井上準之助、犬養毅等数年来暴力の犠牲となった政治家は少なくないが、是等の人々が仆れたる時は、まだ反対思想が何であるかが明白ではなかった、従ってその死は言葉通りに不慮の死であった。然るに五・一五事件以来ファッシズム殊に〈軍部〉内に於けるファッシズムは、掩うべからざる公然の事実となった。而して今回災禍に遭遇したる数名の人々は此のファッシズム的傾向に抗流することを意識目的とし、その死が或は起こりうることを予知したのであろう、而も彼等は来らんとする死に直面しつつ、身を以てファッシズムの潮流を阻止せんとしたのである。筆者は之等の人々を個人的に知らず、知る限りに於て彼等と全部的に思想を同じくするものではない。然しファッシズムに対抗する一点に於ては、彼等は吾々の老いたる同志である。動もすれば退嬰保身に傾かんとする老齢の身を以て、危険を覚悟しつつその所信を守りたる之等の人々が、不幸兇刃に仆るとの報を聞けるとき、私は云い難き深刻の感情の胸中に渦巻けるを感じた。

       三

 ファッシストの何よりも非なるは、一部少数のものが〈暴〉力を行使して、国民多数の意志を蹂躙するに在る。国家に対する忠愛の熱情と国政に対する識見とに於て、生死を賭して所信を敢行する勇気とに於て、彼等のみが決して独占的の所有者ではない。吾々は彼等の思想が天下の壇場に於て討議されたことを知らない。況んや吾々は彼等に比して〈敗〉北したことの記憶を持たない。然るに何の理由を以て、彼等は独り自説を強行するのであるか。
 彼等の吾々と異なる所は、唯彼等が暴力を所有し吾々が之を所有せざることのみに在る。だが偶然にも暴力を所有することが、何故に自己のみの所信を敢行しうる根拠となるか。吾々に代わって社会の安全を保持する為に、一部少数のものは武器を持つことを許されその故に吾々は法規によって武器を持つことを禁止されている。然るに吾々が晏如として眠れる間に武器を持つことその事の故のみで、吾々多数の意志は無の如くに踏み付けられるならば、先ず公平なる暴力を出発点として、吾々の勝敗を決せしめるに如くはない。
 或は人あっていうかも知れない、手段に於て非であろうとも、その目的の革新的なる事に於て必ずしも咎めるをえないと。然し彼等の目的が何であるかは、未だ曾て吾々に明示さ…

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