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思索者の日記
しさくしゃのにっき
作品ID46215
著者三木 清
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本思想大系33」 筑摩書房
1966(昭和41)年5月30日
初出「文芸」1939(昭和14)年2月号
入力者文子
校正者川山隆
公開 / 更新2007-02-06 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一月五日
 朝起きると、ひどく咳が出る。烟草で咽喉を痛めているせいだ。おそく起きた朝ほど咳がひどいのは、その前夜おそくまで仕事をして烟草の量を過した兆しである。私の咳はかなり有名で、近所の子供はコンコンのおじさんと呼んでいる。老人臭くていけないが、烟草の量はなかなか減らないで困る。私が外出先から帰って来るときには、家に入らない前に咳でわかる、と亡妻はいっていたし、私が在宅か否かは咳が聞えるかどうかで判断することができる、と隣の人たちはいっている。そんなに咳をしていながら自分自身ではあまり気づかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である。
 二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っている。飛んでいるようでもあり、踊っているようでもあり、舞っているようでもあり、そのコミカルな姿態をしばらく眺める。空は曇って風が強い。
 郵便物を調べて必要なものに返事を書く。今年は年賀状をいっさい出さなかったが、それでも田舎の知人から来たものだけにはこちらからも返しを出す。正月は田舎がなつかしい。東京には「正月」がない。
 昨夜おそくまで起きて済ませたパンフレットの校正を持って、夕方までに再校を出してもらうつもりで急いで日本橋まで行ったが、今日は印刷所では仕事をしないという。
 帰ってみると、机の上に子供が私の誕生日のために祝いの手紙と贈物のバットとを載せている。今日は私の誕生日。祝ってくれるのは子供一人だけで、「自祝自戒」のほかないとつぶやいてみる。私は以前から誕生日を祝うということをあまりしたことがない。
 いったい誕生とか死とかについての考え方も西洋と東洋とでは多少違っているようだ。ソクラテスでもキリストでも彼らの死がその思想的影響にとって大きな意義をもっているに反して、孔子のごとき場合にはその死は特別に考えられていないということは確か和辻氏なども指摘していることであるが、それは東洋人には死が問題でないというのでなく、かえって死についての考え方が違っているからだと思う。「畳の上で死にたいものだ」と我々はいう。つまり自然の死、極めて日常的に死ぬることが日本人の願望なのである。誕生でも死でも我々は西洋人のように「歴史的な」事件としてでなくて、「日常的な」出来事として経験することを求めているのである。日常的なものと歴史的なものとが区別されるところに西洋人の「歴史的意識」があるに反して、東洋人においては日常的なものと歴史的なものとがひとつである。そこに東洋的ヒューマニズムの特色があるといえるであろう。
 ソクラテスやキリストの死が悲劇的であるように、いわゆる歴史的意識には悲劇的精神が属している。ヘーゲルやシェリングなどが悲劇的精神を歴史の本質の理解の根本においたということには重要な意義がある。ところが東洋にはそのような悲劇的精神がない。ペシミズムとい…

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