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わが青春
わがせいしゅん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本思想大系 33」 筑摩書房
1966(昭和41)年5月30日
初出「読書と人生」1942(昭和17)年6月号
入力者文子
校正者川山隆
公開 / 更新2007-02-06 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      一

 去年の暮、ふと思い付いて昔の詩稿を探していたら「語られざる哲学」と題するふるい原稿が見付かった。百五十枚ばかりのもので、奥書きには「一九一九年七月十七日、東京の西郊中野にて脱稿」と誌してある。あのころは九月に新学年が始まることになっていたから。ちょうど大学の二年を終えた時で、私の二十三の年である。
 想い起すと、その夏、休暇を利用して東京へ出た私は、相良徳三と一緒に中野に小さな家を借りて自炊生活をした。今の文園町のあたりである。右の原稿はその時に書いたもので、私の生長の心理的過程を告白録風に記している。もとより人に示すべきものではないが読み返してみると自分にはなつかしいもので、青春の感傷や懐疑や夢を綴っている。「しんじつの秋の日照れば専念にこころをこめて歩まざらめや」、などと歌った若い私であった。あのころの中野にはまだ武蔵野の面影が存していた。私は一高を出て京都の文科に入ったのであるが、京都に移っても忘れられなかったのは武蔵野の風物である。山や海よりも平野が私の気持にいちばんしっくりするように思う。
      *
 京都へ行ったのは、西田幾多郎先生に就いて学ぶためであった。高等学校時代に最も深い影響を受けたのは、先生の『善の研究』であり、この書物がまだ何をやろうかと迷っていた私に哲学をやることを決心させたのである。もう一つは『歎異鈔』であって、今も私の枕頭の書となっている。最近の禅の流行にもかかわらず、私にはやはりこの平民的な浄土真宗がありがたい。おそらく私はその信仰によって死んでゆくのではないかと思う。後年パリの下宿で――それは二十九の年のことである――『パスカルにおける人間の研究』を書いた時分からいつも私の念頭を去らないのは、同じような方法で親鸞の宗教について書いてみることである。
      *
 あの頃一高を出て京都の文科に行く者はなく、私が始めてであった。その後、谷川徹三、林達夫、戸坂潤、等々の諸君がだんだんやってきて、だいぶん賑やかになり仲間の学生の気風に影響を与えるまでになったように覚えている。私が入学した時分の京都の文科は高等師範出身の者が圧倒的で、私のごときはまず異端者といった恰好であったのである。常時哲学専攻の学生は極めて少なく、私のクラスは私と同じ下宿にいた森川礼二郎との二人であった。私が変っていたとすれば、森川も変っていた。彼は広島の高等師範から来たのであるが、大学を卒業してから西田天香氏の一灯園に入ったという人物である。変り者といえば、私の高等学校の同級生で、遅れて京都に来た小田秀人などその随一で、大学時代には熱心に詩を作っていたけれども、しばらく会わないうちに心霊術に凝り、やがて大本教になったりしたが、なかなか秀才であった。やはり一高から京都の哲学科に入った三土興三も変り者で、私は彼において「恐るべき後輩」を…

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