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つづれ烏羽玉
つづれうばたま
作品ID46229
著者林 不忘
文字遣い新字新仮名
底本 「巷説享保図絵・つづれ烏羽玉」 立風書房
1970(昭和45)年7月10日
入力者kazuishi
校正者久保あきら
公開 / 更新2009-03-22 / 2014-09-21
長さの目安約 216 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    花吹雪


   どこかで見たような顔だね

 花を咲かすのが雨なら散らすのも雨。
 隅田川木母寺梅若塚の大念仏は十五日で、この日はきまって雨が降る。いわゆる梅若の涙雨だが、それが三日も続いた末、忘れたようにからりとあがった今日の十八日は、浅草三社権現のお祭、明日が蓑市、水茶屋の書き入れどきである。
 阪東第十三番目の聖観世音。
 今も昔もかわらないのが浅草のにぎわいだ。軒堤燈がすうっとならんで、つくり桜花や風鈴、さっき出た花車はもう駒形あたりを押していよう。木履の音、物売りの声、たいした人出だ。
「おい、姐さん」
 と呼びかけられて、本堂うら勅使の松の下で立ちどまった女がある。うらうらと燃える陽炎を背に、無造作な櫛巻き、小弁慶の袷に幅の狭い繻子と博多の腹合わせ帯を締めて、首と胸だけをこう背へ振り向けたところ、
「おや! あたしかしら?」
 という恰好。年のころは廿と四、五、それとも七、八か。
「おうっ、嬉し野のおきんじゃあねえか。いやに早え足だぜ。待ちねえってことよ」
 紺看板に梵天帯、真鍮巻きの木刀を差した仲間奴、お供先からぐれ出して抜け遊びとでも洒落たらしいのが、人浪を分けて追いついた。
「あんなに呼ぶのに聞こえねえふりしてじゃらじゃら先へ行きなさる。お前も薄情な罪つくりだな」女はすこしきっとなった。
「あの、お呼びなすったのは、あたしでございますか」
「いまお前が随身門をくぐったときから、おいらあ跡をお慕え申して来たんだ。はははは、いつもながらお前の美しさは見たばかりで胆魂もぶっつぶれるわ。どうぞなびいてやりてえものだが――おいどうしたえ、いやにすましているじゃあねえか」
 女はちらと眼を動かした。護摩堂から笠神明へかけて、二十軒建ちならぶ江戸名物お福の茶屋、葦簾掛けの一つに、うれし野と染め抜いた小旗が微風にはためいているのが、雑沓の頭越しに見える。
 女はにっこりした。男はぴったりと寄りそって、
「なあ、おきんさんがおいらを見忘れるわけはあるめえ。何とかいいねえな」
「でも――」
「なに?」
「いやだよ、この人は!」がらり、女の調子が変わった。月の眉がきりりと寄ると、小気味のいい巽上がりだ。
「何だい。人だかりがするじゃないか。借金でもあるようでみっともないったらありゃあしない。お離しよ」
 とんと一つ、文字どおりの肘鉄をくわせておいて、女はすたすた歩き出した。
 水茶屋嬉し野の釜前へ?
 そうではない。もと来た道へ帰ると、お水屋額堂を横に見て仁王門、仲見世の押すな押すなを右に左に人をよけて、雷門からそのまま並木の通りへ出た。
 青い芽をふくらませた辻の柳の下を桃割れの娘が朱塗りの膳を捧げて行く。あとから紅殻格子が威勢よくあくと、吉原かぶりがとび出して来る。どうもえらいさわぎだ。
「どこかで見たような顔だねえ」
 人ごみのあいだを縫いながら…

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