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天竜川
てんりゅうがわ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 中部日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者門田裕志
公開 / 更新2003-06-12 / 2014-09-17
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

   一

 山又山の上を、何日も偃松の中に寝て、カアキイ色の登山服には、松葉汁をなすり込んだ青い斑染が、消えずに残つてゐる、山を下りてから、飯田の町まで寂しい宿駅を、車の上で揺られて来たが、どこを見ても山が重なり合ひ、顔を出し、肩を寄せて、通せん坊をしてゐる、これから南の国まで歩くとすれば、高い峠、低い峠が、鋭角線を何本も併行させたり、乱れ打つたりして、疲れた足の邪魔をする。山越しに木曾路へ出て、汽車に乗るとすれば、トンネル又トンネルがあつて、この温気に、土竜のやうに、暗の窖を這ひ、石炭の粉の雨を浴びなければならない。
 けれども、山の町から一直線に、傍目も触らず、広々とした南の国の、蜜柑が茂り、蘇鉄が丈高く生えてゐる海岸まで、突き抜ける天竜川といふ道路があることを私は知つてゐる、しかも日本アルプスで、最も美しい水の道路であり、水の敷石であることを知つてゐる、この道路はどんなことがあつても、酸化したり腐蝕したりすることは先づ無い、今まで頑なな、鉄糞のやうに、兀々した石の上で、寝起してゐた身が、濃青の水、情緒の輝やきに充ちてゐる自由な川波に乗つて、何千尺の高さから、大洋の水平線まで、一息に下り切るといふことが、「船さして雲のみを行く心地しぬ、名も恐ろしき天の中川」といふ、この川を詠んだ古歌の心を、味ふのに十分であらう、金剛杖の代りに櫂、馬車や汽車の代りに、亜米加利の印度人が、操つたやうな、原始的な、軽い、薄ッぺらの板舟で、五十里の峡谷、それもおそらく日本に類のない深谷を下られるといふ道路は、他のいかなるそれよりも、美しい幻影に富んでゐるに違ひない。
 今でこそ衰滅の俤しか残さないが、覊旅の人たちに、古典的の壁画を見つめさせるやうに、すがれた色彩と、暗い陰影を味はせる東海道にあつても、この天竜川は、音に名高い大河であつた、小天竜大天竜は、川筋の変つた今では、その跡をたづねられないが、名だけは古い地理書に残つてゐる、
「十六夜日記」の女詩人は、河畔に立つて西行法師の昔をしのび、「光行紀行」の作者は、川が深く、流れがおそろしく、水がみなぎつて、水屑となる人の多いのにおびえてゐる。
 日本の歴史の恐怖時代といふべき、平家の末路から、鎌倉の執権政治にかけて、悲壮なる運命劇は、何故か東海道の河畔で演ぜられたのが多い、承久の乱に鎌倉に囚はれて、東下りの路すがら、菊川の西岸に宿つて、末路の哀歌を障子に書きつけた中御門中納言宗行卿もさうである。「菊川に公卿衆泊りけり天の川」(蕪村)の光景は、川の面を冷いやりと吹きわたる無惨の秋風が、骨身に沁みるのをおぼえようではあるまいか、更にそのむかし、平家の公達、重衡朝臣が、西海の合戦にうち負け、囚はれて鎌倉へ下るときに、この天竜川の西岸、池田の宿に泊つて、宿の長者熊野が女、侍従の許に、露と消え行く生命の前に、春の夜寒の果敢ない分れを惜し…

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