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実践について
じっせんについて
作品ID46279
副題――馬になった話――
――うまになったはなし――
著者中井 正一
文字遣い新字新仮名
底本 「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」 てんびん社
1972(昭和47)年11月20日
初出「青年文化」1948(昭和23)年9月
入力者鈴木厚司
校正者染川隆俊
公開 / 更新2007-03-16 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 山口県の「光」に鉄道の講演会に行った帰途であった。柳井の駅で駅員が、「中井先生はいませんか。中井先生はいませんか」と叫んでいる。フト私の事かも知れんと思って、顔を出すと、「真直ぐに尾道に帰らずに広島に降りて下さい。労働者が待っていますから。鉄道電話の連絡です。」と言う。変だなとは思ったが、その頃広島県の中立委員として地方労働委員長をしていた私は、ともかくも広島で降りてみた。
 駅では鉄道局の委員長が待っていて、笑いながら、「先生黙って私について来て下さい」と言う。いよいよ変だとは思ったが、よく知っている仲なので、「何だい」と言いながら、従わないわけにはゆかなかった。
 電産ビルの地下室に入って見ると、意外にも五十名ばかりの人々がギッシリつまっている。委員長はいよいよ目をしょぼつかせながら「先生、今から人民裁判ですわ」と言いながら、「実は今広島県の労働組合の代表者五十名余と、社会党、農民組合の代表者が、先生を知事選挙の民主陣営の候補者として推す決議をしました。そこで先生のこれまでの履歴と抱負を話して下さい」と、お互いにあぐらを組んでの強談判といった工合である。それは選挙資格審査請求書提出期限の二日前のギリギリの日であり、現知事が今のところ一人舞台として無競争選挙かといわれているときのことであった。
「突然無茶な事を言ったもんだなあ」と私がいい出すと、みんなが「わーッ」と笑ってしまった。
 私は言葉をつくして、自分は、文化運動ではいささか期するところがあるが、政治運動からは引かしていてくれと訴えた。しかし、彼等は頑としてきかない。一人の青年はしんみりと「先生、私達は永いこと苦しんで来ました。今度あ、先生、一つ犠牲になって下さい」と言った。この「犠牲」という言葉が妙に私の胸につき刺さった。
 これまで、人々は政治は一つの栄誉と考えたがっていたのに、この青年は政治を犠牲と呼んでいるのである。新しい民主選挙が、青年の労働者に、具体的事実として教え込んでいるその正しさに、私はギョッとする程、打たれたのである。
 しかし、私は断わりつづける理由と論理をもったが故に断わった。しかし、彼等は戦術を心得ていた。「では立候補の了承を得なくてもよいから、審査請求を出すという承諾を戴こうではないか」「異議なし」
 かなり長い拍手が消えようとはしなかった。私は頭を垂れてそれをきいていた。
 個人の決意の力にのしかかる集団の決議の力は、かくも断層の差をもって押しかかるかと思われるほどであった。また心の隅には戦いが初まって以来、かかる意味の大衆の拍手の嵐の中に、生きていつの日にか面し得ると、乾きに乾いたものがあって、今、それが、スポンジがぬれてゆくようにふくれ上ってゆくものがあった。
 私はとうとう黙ってしまった。そして、私もとうとう笑ってしまった。「あはははーっ」と、多くのつぶらな眼も…

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