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神経
しんけい
作品ID46304
著者織田 作之助
文字遣い新字新仮名
底本 「定本織田作之助全集 第五巻」 文泉堂出版
1976(昭和51)年4月25日
初出「文明 春季号」1946(昭和21)年4月
入力者桃沢まり
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-06-02 / 2014-09-21
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 今年の正月、私は一歩も外へ出なかった。訪ねて来る人もない。ラジオを掛けっ放しにしたまま、浮浪者の小説を書きながら三※[#小書き濁点付き片仮名カ、321-上-4]日を過した。土蜘蛛のようにカサカサの皮膚をした浮浪者を書きながら、現実に正月の浮浪者を見るのはたまらなかった。浮浪者だけではない。外へ出れば到る所でいやでも眼にはいる悲しい世相を、せめて三※[#小書き濁点付き片仮名カ、321-上-7]日は見たくなかった。が、ラジオのレヴュ放送を聴いていると、浮浪者や焼跡や闇市場を見るよりも一層日本の哀しい貧弱さが思い知らされた。
 近頃レヴュの放送が多い。元来が見るためのレヴュを放送で聴かせるというのがそもそも無理な話で、いかにも芸がなさ過ぎるが、放送局への投書によれば、レヴュ放送を喜んでいるファンもあるという。戦争中禁じられていたものを聴きたいという反動の現れだろうか。
 しかし私は「想出の宝塚名曲集」などという放送を聴いて、昔見たレヴュを想い出してみたが、こんなものを禁止したのもおかしいが、あわてて復活したり放送してみたりするほどのこともあるまいと思った。女の子が短いパンツをはいて腰を振ったり足を上げたりするだけでは、大したエロティシズムもないし、豪華だとか青春の夢だとかいって騒いでいたのもおかしい。所詮は子供相手のチャチな、毒にも薬にもならぬみすぼらしい見世物に過ぎなかったのではあるまいか。あんなものを豪華だといって誇っていた戦前の日本も、結局はけちくさい貧弱な国だったのかと、改めて情けなかった。豪華といってみたところで、宝塚のレヴュなぞたかだか阪急沿線のプチブル趣味の豪華さに過ぎない。同じ貧弱なら、新宿のムーラン・ルージュや浅草のオペラ館や大阪の千日前のピエルボイズ(これも浅草から流れて来たものだが)の方が、庶民的で取り済ましてないだけまだしも感じがよい。宝塚や松竹の少女歌劇は男の俳優は一人もいないが、思慮分別のある大の男が一生を託する仕事ではあるまい。レヴュが好きで、文芸部の仕事をしたり、作曲したり装置したりしている人も少くないが、本当に男子一生の仕事と思ってやっているのだろうか、疑わしく思う。「おお!」という間投詞を入れなければ喋れないようなレヴュ俳優の科白廻しを聴いていると、たしかにこれは男子の仕事ではないという気がするのである。
 科白廻しといえば、私は七つの歳にはじめて歌舞伎を見た時、何故あんな奇妙な喋り方をするのだろうかと、奇異な感がしたことを覚えている。高等学校へはいってから新劇を見たが、この時もまた、新劇の役者は何故あんなに喧嘩腰の議論調子で喋ったり、誰もかれも分別のあり過ぎるような表情をしたり声を出したりするのかと、不思議に思った。ところが、レヴュ俳優の科白廻しを聴くと、この方は分別のなさ過ぎる声だったので私は辟易してしま…

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