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雨中記
うちゅうき
作品ID46317
著者小熊 秀雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「新版・小熊秀雄全集第一巻」 創樹社
1990(平成2)年11月15日
初出「民謡詩人 第2巻12号」1928(昭和3)年12月号
入力者八巻美恵
校正者浜野智
公開 / 更新2006-04-08 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 電車を降りて××橋から、雨の中を私と彼とは銀座の方面に向つて歩るきだした、私と彼とは一本の洋傘の中にぴつたりと身を寄せて、黒い太い洋傘の柄を二つの掌で握り合つてゐる。
 男同志の相合傘といふものは、女とのそれよりも涯かにもつと親密な感じがするものである、殊に私は彼とこんな機会でなければ、おたがひにかう激しく肩を打ちつけ合ふことはあるまいと考へた。
 彼の肩は大きい、私の肩は瘠せて細い、彼の肩幅の広くて岩畳な傍に添つてゐるだけでも何かしら安心ができる気がする、また彼の額は深く禿げあがつて赤味を帯びて光つてゐる、彼がのしのしと歩るいてゐるのに、私は気忙しい足取りで、それに調和しようと努力する、彼の醜怪なほど逞しい赤い額は、暗い雨雲も押しのけてしまひさうな頑健さだ。
 二人は雨の日に銀座の散歩に来たといふことを少しも後悔はして居ない。
「濡れるぞ、もつとこつちへ寄り給へ、情味は薄暮れの銀盤をゆくごとしだね」
 私はかう言つて彼の方に余計に洋傘をさしかけながら、雨の路面を見た。
 路面には少しの塵芥もなかつた、連日の降雨に奇麗に洗ひ流されたのだらう、数枚の広告ビラらしい小さな紙片が散らばつてゐたが。
 その紙片は実に雨にも流されないほどに執念深く、鋭どい爪をもつた羽のやうに舗石にへばりついてゐた。
 もし塵芥めいたものを、洗ひ流された路面に求めるならば、彼と私との惨めに歪んだ靴であらう、二人の靴は大きな黒い塵芥の凝固のやうにも見えたからである。
 私はその靴の先で、降雨の中の広告ビラの一枚を蹴つて見た。するとこの青味がかつた濡れた紙は、カマキリか小さな蜥蜴かなにかのやうに、カッと口を開いて、赤い舌をさへ見せて不意に私の靴先に噛みつく、
「なんて悪意に満ちた奴だ」
 私は舌打をして、憎々しくビラを微塵になれと強く踏みつける、私は同時にその紙片を二重に憎悪した、それは建物も低く少ない、田舎の街での出来事であつた。
 秋の風が街を幾度も吹きすぎる、私はその激しい風に向つてなんの持ち物もなく、行軍かなにかのやうに一生懸命になつて歩るいてゐる、砂塵がバラバラ頬を散弾のやうに打つ、私は何度も立ち止まつて休息し、風の凪ぎ間を見てまた歩るき出す、すると不意に私の眼と口とをふさいだ大きな掌があつたのだ。
 私はこの寂しい街で露西亜の強盗にでも逢つたやうに驚ろき慌てて、その巨大な掌をはらいのけた、私を窒息させようとした掌は、風に飛んできた活動写真のビラであつた。
 その時私は広告ビラを心から憎んだ、そしてまた人間の顔を掩ふほどの馬鹿気て大きなビラの注文主を憎み、風の日のそのビラの撒布者をも憎んだことがあつた、いままた都会の舗石道で、同じやうなビラで靴を噛まれたのであつた。
 憎悪すべきものや、親愛なものは、こんな愚にもつかない紙片にもある、私はかう感じた、すると憂鬱な気持がどこからと…

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